2002-07-23

えにしに生きる   NO 143

他人の「死」に接すると自身の「生」を知ることになり、葬儀という「悲しみ」の仕事に携わる立場にあると、これらは一般の方々の何十倍も強いものがある。

 学校に週休二日制が取り入れられた時、子供達の交通事故が懸念され、土曜日の午前中の事故となれば、この制度が施行されていなかったら発生はなく、被害者と加害者の将来を大きく変えることにもなってくるのにと思ってしまった。

 人の運命とは不思議なもの。交通事故現場での遭遇を遡ると、どちらかが何処かで1秒の早い遅いの差異があれば、悲しい結末を迎えることはなかった筈。

 また、夏休みであるこのシーズン。毎年多くの方々が「水辺の事故」で命を落とされる。新聞やテレビのニュースを見ていても、誰も他人事にしか伝わらず、犠牲となられた方の家族も、災難に遭遇するまで「まさか」と思っているもの。

 考えてみれば結婚も不思議である。恋愛期間を逆戻りし、初めて出会った時に遡れば、1秒の差異で逢うこともなかったことも多くあるだろう。

 私の友人夫婦が、彼らの面白い過去の話を教えてくれたことがあった。
 互いが知り合ったのは、大学卒業後に就職した会社。そこで恋が芽生え愛に発展、そして結婚に至ったのだが、最初の頃のデート中に、高校時代に巡り合っていた事実が判明したのである。

 それは、修学旅行で訪れたある城跡公園。
2人は、当時、他府県に在住しており、同日の同時刻にそこで昼食の時間を過ごしており、互いが弁当を広げていた場所が、10メートルも離れていなかったことが思い出の写真アルバムから分かったのである。

名曲「いい日旅立ち」の歌詞に、そんな表現があった筈だが、事実は小説よりも奇なりとの言葉が当て嵌まらないだろうか。 

 葬儀で思い出話を拝聴することが多いが、最愛の伴侶との出会いの話をされる時には、涙の時間の中に輝きが見える。それは「えにし」の不思議というようなことも多くあるが、大切な人との思い出話は、どうしても出会いにまで遡ってしまうようだ。

 自殺や離婚がますます増えてきており、殺伐とした社会で犯罪が凶悪化してきている。ある社会学の専門家が「教育の歪み」と力説されていたが、評論するだけでは世の中は変わらない。実践すること。自分で行動を起こすこと。そこに方向性が見つけられ進路が開かれてくるもの。

 私達が加盟し、「愛」と「癒し」のささやかな活動を展開する日本トータライフ協会で、もうすぐ、北海道のメンバーがHPを発信されるそうだ。

この会社は、過日に北海道研修会のホストを担当してくれたメンバーで、メンバー掲示板では、寒い北国から「さわやかな風」と「あたたかい心」を贈ってくれるメンバーとして認識されており、どんなHPが創作されているのか楽しみにしている。

それにしても大阪は猛暑。私の隠れ家はまるでサウナ状態。発信する「独り言」の内容も、打ち込む環境によって変化してしまう。涼しい北の国で過ごすことが出来ればと思いながら、今日は、この暑い部屋から脱出することにします。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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