2006-04-25

黙想の旋律  NO 1485


「芸術は長く、人生は短し」という言葉、これは、薄命だった偉大な作曲家「瀧廉太郎」さんの銅像の台座に刻まれているもの。過日に彼の名曲「春」のコーラスが聴きたいなんてことを書いたが、つい最近、ある雑誌から彼に関する意外な事実を知ることになった。

 彼の心の故郷である大分県竹田市にある「瀧廉太郎記念館」だが、そこの館長さんがキャスターとして誰もが知る「筑紫哲也」さん。筑紫さんは瀧廉太郎さんの妹「トミ」さんの孫にあたるそうだ。

 名曲「荒城の月」は21歳の時の作品、作詞は、誰もが知る「土井晩翠」さん。仙台城や会津若松城をイメージされて詠まれた詩に、竹田市の象徴である「岡城阯」に思いを馳せて作曲されたそう。

 官費留学でヨーロッパに渡った彼だが、結核発病から8ヶ月で帰国を余儀なくされ、その途上に立ち寄ったロンドンの港で留学中の「土井晩翠」さんがお見舞いに。それが作詞者と作曲者の初めで最後の出会いとは衝撃的なドラマである。

 私は「箱根八里」のリズム感が大好きだが、そんな彼が「鳩ぽっぽ」「お正月」「雪やこんこん」などの童謡を作曲していたことが意外に知られていない。

 享年23歳という薄命があまりにも悲しい。胸の病は当時に不治とされていた事実も淋しいこと。この世に生まれることが出来なかった多くの素晴らしい「曲」達の存在を何より残念に思い、改めて手を合わせよう。

 熊本と大分別府を結ぶ豊肥本線の途中にある「豊後竹田」駅、特急「あそ」という列車で降りたことがあったが、今はその列車も「九州横断特急」と名称を変え、鹿児島本線から八代を経由し、肥薩線の「人吉」駅までを結んでいる。

 さて、阿蘇から別府まで九州横断道路と呼ばれる「やまなみハイウェイ」があるが、この道路が開通したのは私が高校生の時代だった。それまでは国道57号線が主流で竹田の地を通る車も多かったが、観光目的の車の大半が「やまなみ」に流れた。

 別府から湯布院までの旧道に「城島高原」があるが、ここも高速道路の開通で立ち寄る車が少なくなった。一本の道路の開通で交通の潮流がコロッと変化するが、歴史として語り継ぎたい所が閑散としてしまうの淋しいこと。

 昔から時刻表マニアだったことが出張に大いに役立つことになった。そして、ネット社会の到来で知ることのなかった情報入手も可能になった。ただ「情緒」や「風情」という言葉が離れて行くのは淋しいこと。30年前の由布院の情緒が懐かしい。

 旅は人生の思い出のページをつくるもの。そこに列車の存在も欠かせない筈。山手線のトラブルのように、線路を歩かされる思い出なんてご免蒙りたいし、事故の犠牲はもうたくさんだ。

1年を迎えた大事故の被害者107名に手を合わせ、未だに治療を続けておられる被害者の皆様の快復を祈念申し上げる。

 偉大な作曲家「瀧廉太郎」さんだが、彼ならどんなレクイエムを作曲されただろうか。そんな思いを抱きながらしばし黙想をした今日だった。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net