2005-04-11
塾を前に NO 1123
ふと、昨年の秋に亡くなっていた生涯独身の女性のことを思い出した。「いた」と書いたことには事情があり、逝去を知るまでの十数年間は年賀状だけのやりとりだったから。
仕事関係者数人で会食した際の思い出話だが、当時、子供が小学校の高学年になった頃、反抗期で憎まれ口を叩く状況。しがらみで担うことになったPTA会長の私を悩ませていた。
そんなところから「子供の教育は難しいな」と言ったら、彼女にエライ剣幕で叱られた。
「何を贅沢言ってるの。そんな『あるもの』の悩みなんて聞きたくもないわ。産まれてから幼稚園、小学校入学と、育む過程でどんな幸せを与えてもらったか考えて見なさい」
周りがシーンとした。返すことが見つからなかった私。それから子供に対する愚痴をこぼさなくなったが、いかにも彼女らしい重い言葉だと印象に残っている。
これまでに多くの方々との出会いがあり、自分の考え方を180度変える衝撃的な体験も少なくなかったが、葬儀という仕事に従事しながら司会やプロデュースを急変させてくれたのは「孫」の誕生。これだけは体感に勝るものなしの典型であるような気がしている。
葬儀司会者向けセミナーに若い人達の参加も多いが、祭壇に祭られる側に立てて初めてその意味が理解できるだろうし、私が教えられる究極の世界はこの部分だと確信している。
こんな話を60代の住職にした時のこと、しばらく沈黙されてから「考えなかったなあ。通夜と葬儀だけじゃなく『お檀家』のお仏壇の前で読経をする際も・・・必要だなあ。ご本尊、ご先祖さんがどう感じてくださるか?・・・大切なことだ。うん、そうだ」とニコッとされた。
そのお寺さん、それから通夜や葬儀で何度かお会いしているが、何か勤められるご姿勢に変化が生まれ、読経を始められる前、ご遺影を見つめられているのが後ろ姿ではっきりと伝わってきて、間違いなく本物の導師という風格を感じている。
最近、このコラム「独り言」の訪問者から様々なお言葉をいただくことになったが、そんな中で多いのが「空飛ぶ水冠」のページにあるコラム「迷いの窓」についての話題。
「とんでもない人ですね?」が皆さんのご感想。もちろん悪い意味ではなく、何より文章表現力に畏敬の念を抱かれているよう。そこで「だから空を飛んでいるのです」なんて恥ずかしいオヤジギャグでお返し申し上げている。
そんな彼女の特別な世界のご訪問は、「久世栄三郎の世界」のページからどうぞ。
そうそう、MAMADIARYさんの話題が多いことも忘れてはならない。
「葬儀の司会者って大変な仕事ね?葬儀に司会だけをする仕事があるなんて初めて知ったわ」と言われることが多く、我々の業界の社会認識アップにつながるご両人の発信に心から感謝を申し上げ、その「ご仏縁」に結ばれたことに手を合わせる。