2006-12-04

しきたりの弊害?  NO 1707


 今朝の大阪の最低気温は3、7度。なのに初霜や初氷という情報が。<!?>と思っていたらテレビで気象予報士が解説を。気温は地上から1、5メートルで計測されたもの。足元の地面に近いところでの気温が0度以下だったということだった。

 早朝に喫茶店で会った長老から「腰痛は歩くことが何よりの薬」と教えられ、歩いて出勤したが、コートを着用せずにマフラーだけだったので震え上がった往路となった。

 ちょっと難しい原稿を創作し、プリントアウトしてから式場に向かったが、寒風の向かい風の中を歩いて行った。

 咽喉の調子が間違いなくおかしい。すぐにポケットから薬用「のど飴」を取り出した。

 音響をチェックすると第二マイクのボリュームのコントロールが難しい状態。微調整のパーセントが大幅にダウン、そこで左手の指でツマミを挟んだままでいる時間が長くなった。

 開式前、喪主さんご夫妻を伴ってお寺様にご挨拶。副導師をお務めくださるお方が過日のご葬儀でお会いしたご住職でびっくり。「その節は」と、互いに会釈を交わしてから口上に入った。

 開式の時間には日が射し始めて少しだけ気温が上がったようだが、それでも外は冷え込んでいる。「お手持ちのコートをお召しください」というアナウンスで多くの方が着用されてホッとした。

 すべてが時間通りに流れて行った。閉式時の喪主さんのご謝辞が素晴らしくて感動、参列された皆さんが「そうだよね!うんうん」と、頷かれていたのが印象的だった。

 さて、九州の塾生が担当した葬儀で「御斎」のトラブルが発生し、ご遺族が大変悲しまれたというブログ記事があった。

昔は日本中で当たり前だった「炊き出し」という「しきたり」だが、今や大都市では割烹やお寿司屋さんに依頼するケースが大半。

そんな中、ご近所の方々の顔色から判断をされ「お弁当にします」と手配したところ、精進料理でなかったことからクレームが発生、喪主さんが嘆かれたというお気の毒な出来事だった。

 その場に私がいたら、間違いなく近所の方々と喧嘩を始め、プロとして許せないから説教をやってしまっただろう。

まず指摘したいのは優先順位を忘れているという事実。葬儀という悲しみの場にあって最も大切にしなければならないのは故人と遺族の存在であり、告別の環境を壊すような行為は絶対に本義から外れていると断言したい。

 こんなケースは大都市でも少なからず発生している。葬儀社の中にも遺族よりも世話人も重視するところも多く、遺族の思いだけではなく故人の遺志までもが無視されることさえ起きている。そこでの優先順位のトップが町の役員となっている悲しい現実に泣かされているわけだ。

 上述の事件が発生した葬儀は、内容から推察すると浄土真宗系だったよう。もしそうだとすると、こんな問題で争いが起きたことに親鸞聖人はきっと嘆いておられるだろう。

 人は「しきたり」の前で信じられないほど愚かになり、時には滑稽な光景を見せることもある。「炊き出し」の味付けで揉め事に発展してしまった事件も山ほどあり、それがずっと尾を引いているのだから困ったものだ。

「しきたり」の前と言うよりも、「葬儀」という場では誰もが愚かになってしまう危険性が秘められていると言うべきなのかもしれないが、「葬儀は人を集め、人を走らせる」という言葉を思い出した事件であった。

 どんな事件だったの?とご興味のあるお方は、どうぞリンクのページから塾生達のブログを順にお開きくださいませ。コメントもご参考に。<こんなことが!>とご確認をいただければ幸甚です。
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