2007-07-20

葬儀という仕事  NO 1923


 天災は、決して忘れた頃にやって来るものではなく、強烈な記憶の残る間にやって来るもの。そんな思いがする最近の地球環境を何より心配し、暑い街の中を走り回る選挙カーから聞こえる候補者の声に、誰が当選しても「しっかりと頼みまっせ!」と伝えたい。 

  大阪の言葉である「まっせ」を漢字に変換したら「末世」と出てきたのでびっくり。自身の利益、俺が国さの利益、我が党の利益を優先させるような政治家の落 選を願う人も多い筈。50年、100年後、いや、もっと遠い将来まで「人の命」と「地球の生命」を考えてくれる政治家や国家指導者の登場を望みたいが、 「太陽が燃え尽きる日を心配しよう」なんて言う候補者が出てきたら狂人扱いされるかもしれない。

 朝から真向かいの医院に行った。日々に服用する薬を頂戴し「ちょっと測定を」と血圧をチェックしたら正常値で安堵。しかし、最近に感じ始めた首筋から左肩に掛けて走る鈍痛が堪らず、夕方に整骨院に飛び込んだ。

 昨春の術後から苦しんでいた痛みが楽になったのは冬だったが、腰痛などの予防以外でお世話になるのは約半年振り。中に入ると知らないスタッフがいっぱい増え「どうしました?」と先生のお声が。

 腰に8箇所、肩から背中に4箇所の電極を貼って電気を流す。今回は低レベルの電圧でサインを送った。

 やがて始まった先生のマッサージ、ベッドに腹部を押し付けるように腰を押さえられたら3箇所ぐらいの部分で「グキッ」と音が鳴り、「姿勢が悪くなっているようです。日常生活で足を組まないように」と指導を受け、「ちょっと背中が丸くなっていますよ」のお言葉に衝撃が。

 出てきた腹部を別にして、姿勢だけが自慢だった私のスタイル、それが崩壊しつつあるなんて寂しい限り。ちょっと昔にやった運動でも始めてみるかという気持ちにもなった。

 仰向けになっての施術が頚部から肩の部分になった。後頭部を少し押されるだけで強烈な刺激、「視神経が弱っていますね!」で原因が分かった。今読んでいる本の字が小さ過ぎるのが問題のようで、しばらく読まないようにすることに。

 さて、業界のある人物から嬉しいことを耳にした。数年前にスタッフ教育を依頼されて参上した大手葬儀社だが、そこの幹部社員さんが社内恋愛を経て結婚されたそう。

葬 儀社勤務ということで相手のご両親を説得するのに大変な苦労があったそうだが、この仕事が誇りあるプロの仕事でホテルマン以上の資質が求められると訴えた ことが功を奏し、見事に「寿」に至った物語り。その説得の文言が私が講義した内容。それでえらく感謝をされていたそうで、私もこの「独り言」で「よかった ね!」と書いておこう。

 そのことで、ふと思い出したのが随分と昔の話だが、あるお医者さんの奥さんの葬儀を担当した際の出来事だった。

 ご高齢の先生は、全く世間とは隔離された生活を送っておられたみたいで、打ち合わせに参上したスタッフ、飾り付けを担当したスタッフ達全員が揃って「担当を外して欲しい」というような体験をして帰社してきて困ったのである。

  彼らの訴えを集約すると「葬儀社なんて職業は!」というお考えがあり、作業中に横に来られて「他人の悲しみで生活しているのか?」なんて嫌味な発言もあっ たと言う。そこで「遺族は悲嘆の心情に陥り、普通ではない状態にあるから耐えろ」と説得、何とか無事に葬儀を終えることになった。

 数日後、お電話を頂戴して精算に伺ったところ思い掛けないことが起きた。全額をいただいて御礼を申し上げ、続いて法要や法的手続きなど事後の問題を説明していると、突然に涙を流され「すまん、悪かった。許してくれ」と平身低頭されるという驚きの出来事。

「君達の仕事は、まさにプロの仕事だ。私はこの年になるまで大きな誤解をしていた。そこに妻を亡くして君達に当たってしまった。妻の葬儀で葬儀社という仕事がどれほど大変で大切な職業であるか理解をした。これは、それを学ばして貰った御礼だ」

 そう言われて私の前に白い封筒を出されたが、その中に尋常ではない高額な金額が入っているのは失礼な表現で恐縮だが、外見だけでも察知できるほどだった。

「お気持ちだけいただきます」と辞退申し上げたのは当然だが、当時、40歳も年上の方から涙を流され差し出された御礼、何度もやりとりしている内に「これは、御礼ではない。妻のために包む供養だから」と言われて困ってしまった。

 そこで考えた私の行動は、次のような内容だった。

「分 かりました。有り難く頂戴いたします。こうして内ポケットに収めさせていただきます。失礼申し上げる前、お仏壇と奥様のご霊前にご挨拶を」と申し上げ、数 珠を手に合掌。それを済ませてポケットから封筒を取り出し「失礼ですが開けさせていただきます」と申し上げ、中から1万円札を一枚だけ頂戴し、「これは、 お供えです」と、残りのすべてを奥様のご遺影の前に置かせていただいたのである。

「お供養」に「お供え」で対抗したわけだが、その私の行動に唖然とされたみたいで「参った。また教えられたな」と仰り、それ以上は強制されなくなって帰らせていただいた。

 このやりとりを帰社してスタッフに伝えたら「社長らしいわ!」と呆れられたが、その数日後、ご本人がわざわざご来社。百貨店の包装紙のプレゼントを20個ぐらいプレゼントくださり、「これ、供養だからね」とニコッとされたご表情が忘れられない思い出となっている。

 それから数年の月日の流れ、ご本人がご逝去。喪主を務められる息子さんからご鄭重に御礼の言葉をいただき恐縮、それから打ち合わせが始まった葬儀となった。
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