2007-07-19
手を合わすことばかり NO 1922
地震による原発被害の表面化が問題になっている。これから迎える夏の電力供給に影響が出るだろうが、今回の事故は我が日本の国民にとって大きな警鐘となり、原子力発電をゼロからではマイナスから考え直すべきだと考えさせられた。
昨号で「今日、自身があることは幸運」というようなことを書いたが、放射能という目に全く見えない恐ろしいものに蝕まれることだけは避けたいもの。許せる のはレントゲンぐらいと思いながら、生活が便利になる背景に取り返しのつかない「負」の危険性が秘められている現実に寒々しい感じ。地球環境という前に 「美しい国」に相応しくない存在と考えるべきかもしれない。
一方で、ブラジルで飛行機が炎上しているニュースを観た。サンパウロのコンゴニアス空港での事故だが、ますます飛行機に対する恐怖感が強くなった。
この空港、25年前に忘れられない思い出がある。過去ログにあるが、日本からサンパウロに向かって飛んだ際、リオデジャネイロでの乗り継ぎ便が航空会社の勝手な変更で大変な目に遭ったのである。
サンパウロには、この空港と100キロほど離れたところにビラコッポス空港があり、そこに行くべき飛行機がコンゴニアス空港へ行ってしまったという出来事だが、そうなった原因は羽田発の飛行機が予想もしなかった航路変更があったからだった。
飛び立って太平洋上空を飛行しながら食事の最中、機長のアナウンスに客室内がザワザワ、<!?>と思って日本語の話せるパーサーに確認したら<嘘っ!>というような内容で、次のように説明された。
「ロスアンゼルス直行でしたが、本日は積載する貨物が多く、燃料の関係からアンカレッジ経由で参ります」
予定になかったアラスカで給油するというのだが、それだけで約5時間も余分な時間を費やしてしまう。バリグ・ブラジル航空という会社の如何にも南米の大らかさを体験させられながら、内心はアラスカを目にすることが出来るのだからとも許容する思いも生まれていた。
アンカレッジ、ロスアンゼルス、ペルーのリマを経由してリオデジャネイロに到着、そこでビラコッポス行きに乗り換えるべきなのに、5時間遅れで到着したところから航空会社の勝手な判断で乗せられたのがコンゴニアス空港行き。
ビラコッポス空港で待ってくれていた20人ぐらいの人達にも大変な迷惑を及ぼし、通関してロビーで心細くウロウロしていたら、航空会社のスタッフから名前を呼ばれ「迎えの人達が車でここへ向かったから待つように」と言われた。
列車の車掌さんみたいな帽子のオジサンが何か話し掛けてくるが、ポルトガル語なんてさっぱり分からない私、適当に手を横に振っていたら突然に荷物を持って 行かれそうになってびっくり。その人物はタクシーの運転手さんだったが、事なき収め方と考えて1ドル紙幣を1枚だけ渡した。
当時の1ドルは264円だったと記憶しているが、それを機にブラジルのお金が必要と考え、空港内の交換所で取り敢えず100ドルだけクルゼイロに換えたら、びっくりするほどの紙幣を貰ったことを憶えている。
迎えの人達が到着したのは、それから2時間後だったが、そのコンゴニアス空港での出来事が強く印象に残っており、ニュースを観て特別な思いを抱きながら手を合わせた。