2002-05-15

疲れますね

講演や協会組織での活動をしていると、人生の中で「人を育てる」ことの重要性と難しさに気付く。

確実に言えることは、社内よりも指導をした社外の人達の方が育ち易いということで、こんな嘆きの心情を抱く経営者は少なくない筈だ。

数日前の日本トータライフ協会のコラム「有為転変」に表記されていたが、協会の女性アイドルの一人、石坂常務理事からの年賀状の下記の文面が、メンバー達で話題になったことがある。

<弊社は「人材」を教育し、「人財」を育てています>

「あの表記は感じ入った」ということから始まった会話の中で、「弊社は<人罪>ならいっぱい存在しているのに」と発言した経営者があり、そこから1時間も「愚痴」で盛り上がることになってしまった。

社内スタッフの意識改革。簡単なことからスタートしようとテーマを与えるが、習慣とは恐ろしいもので、考えられないところで「ボロ」を出してしまうようだ。

ある時、否定語、肯定語について話したことがある。

我々の仕事の場合、ご逝去を何処かで知られたという方の問い合わせも多くあり、締切時間後に「お供え物」の電話依頼が入ることがある。

そんな時、窓口担当スタッフが、「シキミと生花しか出来ません」と応えてしまうのが恐ろしい。その言葉が生まれた心情には「締め切った後なのに」という勝手な抵抗感があり、申し訳なく思いながら電話をされて来ているお客様の怒りに触れることにつながる。

「シキミか生花ならご用意が可能ですが」、そんな肯定的な配慮、同じことを伝えているにも拘らず受け取る側の感じ方が180度異なる。否定語、肯定語の違いが解っていても、その時の感情で言葉が変化してしまうのが人間。これは、一生のテーマかも知れない。

一方に、創作意欲に駆られて、最も大切なことを忘れてしまうことも発生する。

ある社葬の追憶ビデオを制作させていた時、絵コンテ通りに完成していたにも拘わらず、「絶対に間違っているところが一個所ある。自分達で考えろ」と、突き放したことがあった。

数時間の時間が経過しても「何処が?」という会話ばかりで進展がない。

多くのお写真をお預かりして絵コンテを作り、資料映像に被せて行く訳だが、使用させていただいた写真の中に、その方の人生の大きな喜びの出来事となった「ご自宅新築」があった。

スタッフ達は、ビデオに登場させるお家の写真を、フェードアウトさせる時、右側に傾けて消えて行くような映像作りをやってしまっていた。

彼らに答えを見つけることは出来なかった。本番まで日程の余裕がある社葬だから敢えて勉強させたが、明日の葬儀だったら怒り飛ばしていただろうし、そのまま放映していたら、取り返しのつかないクレームになっていただろう。

「家を傾かせて、どういう意味? 家を消すということは、どういうこと?」
そんなお怒りに返す言葉はない。

ああ、葬儀とは難しい仕事だ。プロデューサーという仕事の責任、それは毎日が勉強。

「あなたの最高の仕事は?」
そんな問いに対して、「明日の仕事です」と答えられるようなプロでありたい。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net