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寂しくなった  NО 10083

医院の先生から電話があり、現在の症状を伝えたら、月曜日に処方された薬が今日の夕食後に服用したら飲み切ることになるのでその後は接触しても問題ないと言われた。

これでコロナ感染も一段落のようでホッとした。ずっと来宅しいてくれているヘルパーさんが体調不良でずっと休まれている。判明したことでインフルエンザで高熱が出ていたことを知ったが、朔日に久し振りに来宅してくれた彼女が我が家の飼い猫の様子がおかしいと気付かれた
いつも彼女が来ると餌をねだるのに出て来ない。「あれ?」と思っていると彼女が横たわる猫を発見。すでに冷たくなって固まっていた。

彼女にネットで業社を調べて貰って夕方に来てくれることになったが彼女は優しく旅立ちの対応をしてくれた。

きっと猫も喜んでいると想像するが、あまりにも突然の死で衝撃を受けた。庭に車が入れるように片づけて貰ったが、大変な作業だったと想像する。

今日のヘルパーさんは小豆島ご出身の方で、過日に猫が死んだことをご存じで 「寂しくなりましたねえ」と慰められた。

昨年の師走を迎えた頃、妻が早いか猫が早いかと気になっていたが、結果として妻が先に逝ってしまった。施設に立ち寄った際にいつも「猫のことを頼むね」と言われてきたが妻が拾ってきた猫があとを追うように亡くなってしまった。

猫の愛称には私の名前が付けられていたのでいつもき気になっていたが、一人だけ残されたいで一入寂しくなる。

商店街を歩いていると妻の友人のお兄さんとあった。昔からのゴルフ仲間で妻の死を伝えると慰められた。

その妻が数年前、「会いたい子がいるの。付き合ってくれない」と温顔されたことがあり、友人を誘って白馬に行くことになった。

長野オリンピックの時にペンションをオープンさせた友人の家で、目の不自由な子供で「穂高ちゃん」と呼んでいた。

3人大阪駅から特急サンダーバードで金沢に行き、タクシーで東茶屋町、兼六園に立ち寄り、金沢駅から新幹線で糸魚川に行き、大町線に乗り換えて南小谷で電車に乗り換えて白馬駅に行ったが、途中で雪が降って来て大変だった。

予約してくださっていたホテルはアルパインというところだったが、大半の客が外国人で、フロントでチェックインした後で移動する際に階段のところで転倒してしまい「オーマイゴッド」と言われたことを憶えている。

外国人たちはホテルで夕食を食べないみたいで、お食事処は3人だけだったし、入浴の慣習もないみたいで大浴場も貸切みたいだった。

次の日に「穂高ちゃん」に会いに行ったが、目が不自由だったが妻のことが理解できるみたいで養護学校へ行く前の時間に妻と手を握ってコミュニケーションが通じたそうだった。

その日は白馬の街に初めてコンビニがオープンしたそうで、5000人もの客が押し寄せたそうだが、我々はバスセンターから長野行のバスを利用したが車内の9割が外国人だった。

長野駅で蕎麦を食べ、「特急しなの」で名古屋へ行き、「ひかり」に乗り換えて帰阪した。北海道から沖縄までどこにでも行き、我々夫婦の思い出があるが、それだけにどこにも行きたくない思いも生まれる。そんな心情が癒えるのはいつのことだろうか。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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