2003-08-28

合  掌     NO 529

弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバー会社から、創業者であられる会長が急逝されたという訃報通知が入っていた。

 故人は、メンバーのご尊父。メンバーが喪主となって来月下旬に合同社葬が行われるとのこと。

 今日、夜に北海道に行っていた東京のメンバーが来阪するので、この件について打ち合わせをしなければならなくなった。

 私は、30歳の時に親父が亡くなり、喪主を体験した。

長男というものは大変。親戚や参列者が多く、今では考えられないだろうが、火葬場まで大型バス3台という思い出が懐かしい。

 奏楽をお願いし、お寺様が8人と予定していたが、各宗派の大勢のお寺様が通夜と葬儀に参列いただき、中には装束をお付けいただく方もあり、語り草になるような葬儀となった。

 当時の慣習で、業界関係者に仕出し料理を持ち帰っていただくことがあったが、250個用意したのに足りなくなり、親戚の分で急遽間に合わせた秘話もある。

 あの頃から比べると、葬儀は大きく変化した。無駄を省いて合理化されたという社会学者もおられるが、その地に土着する慣習の払拭は難しいようで、地方に行くと「江戸時代そのまま」というような光景が少なくない。

 喪主を体験して一人前の葬儀社になるという言葉があるが、それは確かなこと。私自身の意識改革が始まり、葬祭業を「サービス業」として考えるきっかけになったことも事実。

 正直言って、「悲しんでいる暇なんて全くない」というのが通夜と葬儀の実感。いつの間にか時間が流れ、気がつけば「お骨」が自宅に安置されていたという印象だけが残っている。

 喪主だが葬儀社としての立場から、自分の思いを貫きたいという考えが幾つかあった。ひとつがシキミ(関東や地方でいう花輪)と供花の辞退。「業界と組合の習慣だ」という長老の言葉で棄却。

次に代表者の焼香順位読み上げの割愛。それは、「読まれると思って参列している人に失礼だ」と却下。

 葬儀社でありながら、自身の願う葬儀が出来ないという歯痒さだけが残った葬儀。実行出来たのは親戚の焼香順位の割愛のみ。

 あれから随分の月日が流れた。遺族側の立場という客観的サービスを真剣に考える葬儀社達が集まり出した。そして、日本トータライフ協会が組織構築され、「愛と癒しと思いやり」の活動が始まっている。

 今回、喪主を体験することになったメンバー。彼は、その貴重な体験から、きっと遺族のための新しい発想を提案してくれるだろう。

 そんな思いを託しながら、社員と共に手を合わせる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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