2015-02-26

小説の中で  NO 4116

齢を重ねると筋肉痛が次の日ではなく2日後に訪れると言われているが、今日は朝から脹脛や足首に痛みを感じている。

70段と40段の階段を上がったことの他に、長い下り坂を歩いたこと。特に下り坂は影響が大きく上り坂より負担を感じてしまう。

昨日の号に掲載した写真のすぐ近くに、石山本願寺の顕彰する碑が存在している。豊臣秀吉が築城した大阪城の前に「大坂」という地名があり、そこに石山本願寺があったと語り継がれている。

浄土真宗の歴史に知られる蓮如上人は山科本願寺の別院として大坂御坊を建立したと言われており、ずっとその後に南御堂や北御堂にも繋がって行き、そこから現在の御堂筋という名称が生まれている。

先月、ご仏縁に結ばれる方の葬儀に参列した。その際に導師が表白という法儀を進められたが、次のような内容を授けられた。

『本日ここに法名**院**の葬儀を営み、親族知友集まりて今生の別れを成す。別離の情去り難く、恩愛の絆は断ち難し。されど我らが思いすでに及ばず、ただ頼むべきは弥陀の誓願なり。阿弥陀如来は、かかる我等を哀れみ賜いて、すでに本願の大海より名告りたもう。誠に弥陀の本願力にあいて空しくすぐるものなし。願わくば、相会する有縁のもの信心を等しくして、共にその御名(みな)を称え、生死(しょうじ)の別を超えて永遠の命に生かしめられんことを敬って白(もう)す』

浄土真宗の葬儀で行われる「表白」には幾つかの例があるが、30数年前に書いた小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」の中でも紹介している。

小説の中ではあの世に旅立った主人公が出会った人物と会話を交わし、その人物の葬儀を浄土から見物しながら主人公が解説するという場面だが、そこで「表白」について触れている。

考えてみれば「あの世」で49日間の旅をして七日毎に行われる裁判の裁判官と対談するという奇想天外な物語だが、閻魔大王とは中国故事のやりとりで過ごす内容だが、それは別掲した説明文がなければ理解出来ない難解なものである。

その部分を草稿している時のことを思い出した。400字詰め原稿用紙に換算して約800枚を半年間掛けて書いたものだが、深夜にその時間を設定していたこともあり、数日間仕事で離れてしまうと物語のシナリオを忘れてしまうことになり、何度も遡って確認してから始めたことを憶えている。

パソコンどころかワープロもない時代、鉛筆と消しゴムで机の蛍光灯の下で指が痛くなったことも忘れられない思い出である。

原稿は、その後3回書き直して完成に至ったので2400枚の原稿用紙分を書いたことになるが、現在のようにパソコンがあればどんなに楽だったことだろうかと考えてしまう。

そんな体験の中で、いつも手元に置いてあった辞書を開くのが自分でも驚く程速くなったこと意外で、ある時に友人が来ていた時にその速さに驚いていたことも印象に残っている。
勝手に目的の文字のあるページ付近を開けることが出来るようになっていた訳であるが、パソコンの文字変換をしながら当時を懐古している。

今日の写真は大阪城内にある石山本願寺跡の碑である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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