2003-10-15
葬儀司会者 『実務教則本』 NO 576
昔、ワープロが世に登場した時には驚いた。確か、シャープの書院だったと思うが、器用に使いこなすスタッフを羨望の眼差しで見つめていたことを覚えている。
その後、数年経ってテレビ型のコンピューターが導入され、女性スタッフが私の喋るナレーションを聞きながら打ち込んでくれた。
スタッフの全員が仕事に出掛けた際、ふとした思いでコンピューターを開け、ボタンを押したら固まってしまい、帰社したスタッフに叱られた。
それからしばらくした頃、丁寧に教えてくれる女性スタッフが入社し、文字だけ打ち込むことを覚えたが、人差し指1本で打つのは今も変わっていない。
さあ、そのコンピューターだが、誰もが驚くほどの文字数を打ち込み、何度か容量オーバーという現象を引き起こし、フロッピーとやらに落として貰った。
私が触るテレビ型のパソコンは、それから2台ほど入れ替え変遷があったが、自分専用のノートパソコンを初めて手にした2001年のクリスマス、大変なことが分かり衝撃に襲われた。
入力されてある筈のフロッピーが全く開けることが出来ず、専門家に調べて貰ったら「入力されてない」とのこと。せっせと打ち込んでいた私の貴重な財産が消滅していた。
遠い昔、葬儀の司会者たち用の教則本があった。タイトルは「春夏秋冬」で、初版は、私が吹き込んだ司会のテープもセットされ、限られた人たちに出回ることになったが、数年の時の流れに噂を呼び、「幻の書」ということになった。
その後、パート2、パート3、ナレーション集などに進化していったが、上記の事情も絡んで時間が止まっていた。
そんな中、葬儀の司会の重要性が認識され、無宗教形式まで流行してきた。
ホテル専属の司会者やブライダルからの転向組の方々は、「無宗教なら簡単」との誤った考えが潮流となり、講演やセミナー活動で、それが恐ろしい誤解であることを啓蒙していくと、「古きを知って・・・」という過日の「温故知新」の結論に至った。
宗教者がおられない形式なら、「司会」から「司式」への意識転換が不可欠。それには宗教に基づく葬儀の司会を確実に学ばなければならないことになる。
葬祭業は、職人技術に支えられる大工さんの世界に似ている。幕張や司会の技術を「盗め」という姿勢があり、新人社員の研鑽に無駄な時間の浪費となってしまっている。
幕張技術なんて生かせる時代ではないのに、その技術を持っている人たちは、それが如何にも重要であるように振舞ってしまう。葬祭式場が流行する時代に逆流するような考え、押しピンを信じられないほど使用する幕張技術なんて、式場となるお寺や自宅が災難ともなろう。
ちょっと脱線したが、話を司会に戻すと、これから大きく変革する葬儀の司会にあって、グローバルな基本となる教則本は貴重だろう。監修は、私が責任を持っ て担当した。日本トータライフ協会のメンバーたちには今月中に送付されるが、メンバー以外の方で要望される方には、その後にお知らせ申し上げるが、部数限 定なので悪しからずご了承を。
タイトルは、「葬儀司会実務 温故知新」。詳細については、来月の前半、弊社HP内「久世栄三郎の世界」がリニューアルされたページとなるが、そのお知らせは、このコラム「独り言」の号外を予定している。