2012-07-10
半世紀前 NO 2982
拱手傍観より何かをするべきと、この「独り言」の日々更新に努力をしているが、日課で訪問する「幸せ列車」のコラムには驚くばかり。「かめかむか」さんが執筆される内容のグレードが半端じゃなく、多くの訪問者を驚嘆させている。
また「図解兵法」のページは必見の世界。特に経営者にはお勧めである。
昨夜、テレビドラマで「金子みすゞ」さん物語を放送していた。毎日何かのCMで目にする「上戸 彩」さんが演じていたが、薄幸の詩人として知られる彼女の存在を知ったのは40年以上前のこと。月刊誌「プレジデント」で特集されていた彼女の詩の内容に感銘を受けた。
普通の人には発想不可能な独特の感性があり、それらの背景に宗教的とも言える彼女ならではの文章表現があり、九州からの帰路に立ち寄った仙崎にある記念館を訪れた際の思い出が鮮明に蘇ってきた。
我が大阪の新世界にある「通天閣」が百周年を迎えたそうだ。初めて新世界に連れて行って貰ったのは55年も前のことだが、当時の新世界は現在の心斎橋筋みたいに大混雑状態だったと記憶している。
浪速警察署のある恵比須町交差点から通天閣に向かう商店街は、ごった返す人の波に、幼かった子供にとっては人の背中しか見えないほどで、「三丁目の夕日」という時代を懐かしく思い出してしまう。
フグで知られる「づぼらや」にも何度か入った記憶もあるし、鰻で有名だった「いづもや」に入り、大人達が「まむし」という言葉で注文していたのを耳にして「うな重」を食することが出来なかったことも憶えている。
今や新世界と言えば「串かつ」で知られているが、昔から存在している芝居劇場と銭湯にも入ったことがあるので懐かしい。
界隈をうろうろすると当時を垣間見る光景に気付くこともある。スマートボールなんて縁日の屋台でしか見なくなったが、新世界にはそんな店舗も存在しているし、何かもっと賑やかだった大人のゲームがあったような記憶もあるが、それが何かは不明である。
天王寺駅から天王寺公園の中を通って新世界に行けるが、公園にも無料と有料のルートが存在するので気をつけたい。
駅前の公園入り口には昔から交番所があるが、このすぐ近くのバス停が私が通学の帰路で使っていた今里行き「11番」の発車場所だった。天王寺西門前から 25号線に入り、寺田町交差点、寺田町駅前、源ヶ橋、林寺新家町から左折し、疎開道路に入って現在の弊社の西館のところに「南生野三丁目」という停留所が あり、まさに私にとっては「三丁目の夕日」そのものなのである。
郵便番号が登場した頃に「生野東」と町名が変わった南生野だが、当時は生野中学付近は北生野という町名だった筈。
生野本通商店街を東に行くと、河内松原市に移転した昔の「生野高校」の跡地に府営住宅があるが、そこは府営南生野住宅と表記されており、そこには交番所が存在している。
昔、生野高校の南側に面する塀は商店街に接しており、現在の交番所は塀の東端にあったし、現在の生野工業高校の塀も商店街に接していたものだが、地元の要望から間口2間、奥行き2メートルぐらいという奥行きの狭い店舗が完成し、すぐに完売という歴史もあった。