2023-09-01

頑張れ  NО 10009

ジェット船内から所用があって出掛けようとしたらふらふらして気分が悪くなり、電話をか開けて待ち合わせに行けないことを伝えた。

重要なことだったのに「よろしくお願い」と言うことになったが、過去に同じようなことがあって申し訳がない。

タクシー乗り場で私が転倒して驚かせたこともあり、リハビリに行ってから覚えた「右足体重、左足を出来るだけ前絵へ」を実践しているが、寺田町の駅まで半時間も要するのだから情けない。

大病を患う前は6分で行けたのだから5倍も時間を要することになった。もう運転免許証は返納したし、自転車も乗れないのでどうしようもないが、ただ只管「転倒しないように」気を付けて歩くことだけだ。

今日は「粥」と「サトウの御飯」を食べた。栄養も考慮して卵焼きも作ったが、スクランブルエッグの予定が別物になってしまった。近所の奥さんのアドバイスではフライパンを高温にしてから」と言うのがあったが、現在使用しているフライパンはテレビのチャンネルで購入したもので「騙された」と思っている製品で、温度の問題ではないようだ。

夕方インターホンが鳴ってセルとクリーニング店のご主人だった。彼と私は同年生まれで互いが気を付けてと声を掛け合っているが、互いが齢を重ねたなあと感じるひとときでもある。

ケアマネージャーさんのアドバイスで玄関と基壇を上がった踊り場に手摺を付けて貰ったが、今ではそれがなかったら生活が出来ないというほど役立っている。過去に会談の中間部分から滑り落ちたこともあった。

臀部と腰を痛めた思い出が忘れられないが、玄関で靴を履く際にも手摺があるので重宝している。

昨夜のNHKテレビで「マッカーサーの特集を放送していた。その中で昭和天皇の全国巡行が採り上げられていて私が小学生1年生か2年生の時に現在の近鉄志摩線の沓掛駅の近くの高台で車列に日の丸を振った記憶があり、車列の中に黒の車と小豆色の車が二台並んで走っていた姿を憶えている。

前にも書いたが、その時に私の隣で旗を振っていた人物は伊勢神宮の警衛のトップにしゅうにんしていたので驚いたが、伊勢神宮へ参拝した際に彼の消息を聞いたら、2年前に亡くなっていた事実を知って衝撃を受けた。

妻の友人もいたし、昼食を食べようと向かったのは下宮の駐車場の前にある「ウナギ料理」の店舗で、元阪神タイガースで投手として活躍された西村選手の実家だった。

沢夢生ら選手と西村選手は伊勢の地で語り継がれるお二人だが、両氏が戦死されていた事実を知ってショックだった。

友人の中にもタイガースファンが多いが、西村投手のことを知っていることは皆無で、伊勢神宮へ参拝した時は立ち寄ったらと勧めている。

初孫が来阪した際に伊勢神宮へ連れて行き、鳥羽のシーサイドホテルに宿泊したが、夕食後に部屋に戻ってから携帯電話が行方不明になり、フロント行って貰って掛けて貰ったら、バッグの中でブルブルしていて発見に至った出来事もあった。

その数年前、二人の孫が来阪した際に「行きたいところは?」と聞いたら「熊野古道」と言うので天王寺からオーシャンアローに乗って新宮まで行き、バスで上流に上がって「ジェット船」に乗ったこともあったが、その時に宿泊したのは太地の「花游」で、クジラ間のすぐ隣だった。

当時はイルカやクジラの保護団体が抗議活動をしていたこともありパトカーがひっきりなしに見守っていたが、なんとも落ち着かない宿泊でもあった。

那智の滝にも連れて行ったが、それぞれの記憶にあるのだろうかと気になってしまう。二人目の孫はアメリカで生まれた子で、
私が初めて対面したのは赤十字病院の病室で、私が手術を受けてから間もなくのことだった。

その子も来年は大学受験となっており、志望校に受かることを願っているが、熊野古道へ行った頃は小学校4年生で算数を勉強すると言って始めたのが高校の数学の方程式で驚いたが、上の孫が「お爺ちゃん、こんなの当たり前だよ」と在住している地域の学力についてびっくりする事実を聞かされたが、それから勉強しなくなったみたいで成績もダウンしているのではと心配している。
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