2004-07-27
送るって? NO 864
式場のすぐ側にある大きな木、そこでセミが大コーラス。そんな中、葬儀が始まった。
ご読経が流れ、やがて導師のご焼香。そのあたりでセミが静かになった。それは、副導師が打たれた「キン」の音の影響か?
弔電代読のBGMは、故人のお好きだった曲のレクイエムバージョン。続いて古い歌謡曲のレクイエムバージョンに故人の歌声を被せる。
ワンコーラス終曲の手前でナレーション開始。「セミ時雨が何とも忘れ得ぬ夏の風物詩となってしまいました」と言ったとたんに数匹のセミが鳴く。そんな不思議な自然現象が起きた。
子供達を見るといつも飴をプレゼントされていたところから、町で「飴のおじさん」と呼ばれて有名だった故人。スタッフの案で<夏休みの公園に多くの子供が やってくるだろう>と考え、用意していた飴は残念ながら手渡すことはなかった。それはあまりにも暑かったからか、子供の姿を見掛けなかったから。
しかし、お通夜で弔問者が帰られた後にお出しした桃、直前まで冷蔵庫で冷やしていたのをお喜びくださったそう。
簾をセッティングしたテントや木陰の下で参列された会葬者に、「お茶と冷たいオシボリを」とインカムで命じ熱中症対策を徹底させたが、火葬場に随行した女 性スタッフが冷えたお手拭を持って駐車場で待機していたのは合格。やっとホスピタリティの意味を理解してきたようでホッとした。
数日前の葬儀、担当責任者になったのは秋田県出身の近鉄ファン。彼が精算に参上し、嬉しそうな表情で帰社してきた。
「人を送るスタッフにも高級感を感じた」と、ご親戚の方がご遺族に伝えられたそう。彼は頂戴してきた不祝儀を誇らしげにしながらも、両手に持って、ご当家のある方向に向かって頭を下げていた。
葬祭業に従事する者は、ホテルマン以上の資質が求められる。それがホスピタリティの真髄だ。なんて説教を繰り返してきたが、やっとその入り口に到達できたよう。
葬儀のサービスに限界はないが、悲しみを理解しようとする心なくして仕事は成り立たず、究極の頂点と考えれば「人」となる筈。
弊社が指針する「葬儀社」から「創儀<者>」への意識改革、それは、まだ始まった段階であることを再認識しておきたいところ。
葬送の場の大切なことは何より「礼節」だろうし、その意味は「謙虚」と「真摯」という言葉なくして成り立たないもの。
目を患い隻眼になって世を見れば、見えなかったこと分からなかったが発見できたような気もする。
耐えること、緊張を体験することが人を育てるもの。スタッフよ、悲しみのプロを目標に邁進しよう。