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台風一過  NО 9995

大牟田 一歩台風6号が九州を縦断していった。このコースは友人や親戚がいっぱいいるので心配だった。

数年前の大雨で町の大半が浸水した大牟田市、友人のいる荒尾市は少し標高が高いので問題なかったそうだった。

数年前の「ブラタモリ」の番組で阿蘇を採り上げていて、古い地図が紹介され、そこに「牟田」という文字があり、解説者が「湿地」という意味ですと言われていたが、福岡県から熊本へ入るところに「大牟田」というところがあるが、駅の近くに割烹「一歩」という店があり、荒尾市に在住する友人に十数回連れて行って貰ったお気に入りの店である。

ある年に妻が実家の法要に戻った際に妻の友人二人をゴルフに誘って熊本空港へ私が迎えに行ったが宿泊したホテルはグリーンランドの中にある「ウェルデ」で何度か大規模社葬の司会で行ったことのある文化ホールの真向かいで、この時も「一歩に連れて行って貰ったが、友人達が「もう一度行きたい店」と言っていた。

次の日のゴルフは小岱山」というコースだったが、次の日は「阿蘇が見える「大洲カントリー」で最高によかった。

その日に妻と友人達と杖立温泉の「びぜんや」に宿泊したが、大浴場へ行く時に廊下に線が入っており、それが熊本県と大分県の県境であること知ってびっくりした。

次の日に苦渋の大橋を体験して別府を経由して小倉から中国道に入り大阪まで走行したが、それは9月のことで、新年迎えた頃からおかしな兆候を感じ始め、2月に脳梗塞を発病して救急搬送された。

その日、深夜に割烹をやっている友人と一緒に銭湯で会い、二人でスチームサウナに入ったが、熱風の噴き出る吹き出し口の風が「脹脛」に当たっても涼しく感じておかしいと伝えると。「何をおかしなことを?」と言われたが、湯船に入っても左半身が水風呂に感じていたのだからもう発病していたと思える。

気分が悪くて目覚めたのは暁方だったが、3階にいた妻に電話で下りてきてくれと伝えて来てもらい、「救急者を読んでくれ」と言ったら「救急車って何番?」と返されたので参った。

5分ほどで救急車が到着したが、疎開道路に停まった車内で行き先が見つからず30分ほど天井を観ながら苦しんでいたが「高槻の病院が決まりましたので出発します」と聞いた妻が「何とか大阪市内にお願いします」と言って変更され、新大阪駅の近くにある「淀川キリスト病院へ搬送された。

「脳幹損傷」「延髄損傷」「複視」「左半身麻痺」「右半身麻痺」誤嚥性肺炎」「呂律回らず」「顔面麻痺」なんて医師の会話が耳に入り、「人生が終わった!」と覚悟したが、とりあえず病室へ移されてもベッドの上に座ることも出来ずにいたら、卒然大きな地震が発生し、病室の扉が勝手に開いて衝撃を受けた。

あとで知ったことだが、能登半島を震源とする地震で、おおs下では震度4だったそうだった。

病室が決まって部屋にいたら次の日に3人の女性がやって来て「今日からリハビリを始めます」と言われ「OT「PT」と声帯」担当が決まった。

初めてリハビリなるものを受けたが、平行棒も持っても歩くことが出来ず、「なんでこうなったの?」と情けなくなったが、これも運命かと割り切って耐えることにした。
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