2003-07-21

郷 愁    NO 492

前にも書いたが、私は、団塊世代の一員。

 子供の結婚、親の介護や葬儀を考えなければならない年齢にあって、初老の身に忍び寄る体力の衰えを感じながら、自身の健康を留意し、会社や家庭での大きな責務を担っている。

 冠婚葬祭に関する接待費も大変だ。

毎月、お祝いや香典の出費が何件もあるが、これは自身の人生での生きている証。共に喜び、共に悲しむことは人の社会で当たり前のこと。そんな通過儀礼で互いの存在が確認されることになる。

人に生まれ、人と知り合う。与えられた時を過ごし、やがて時に従う。そこで振り返る我が人生の出会いと別れの詩(うた)。その時、何を生きた「証」として残せたかということになるが、「残す」という文字が「遺す」と変わる瞬間でもある。

我々の年代になると親だけではなく、伴侶や子供を亡くしたという不幸を体験しているものも少なくない。また、家族の離婚や事故という衝撃との出会いもあるだろうし、何かの病気で入院を体験したものも多い。

そんな体験を通して自身を磨くことになるが、いいカッコを書けば、『辛い思いをしただけ人にやさしくなれる』ということになるだろう。

私の愛読書のひとつにに月刊「大法輪」があり、これまで20年間以上読み続けてきた。宗教に関するグローバルな世界が解り易く解説されてあり、私のような愚か者でも「なるほど」と理解に至ることが多くあり、この本との出会いにも感謝している。

昔から好きだった「あいだみつお」さんや「金子みすず」さんの詩。これらがこの大法輪の中で解説された内容に接した時、また新たな世界を学ぶことにもなった。

「大法輪」、これは、私が皆様に責任を持って薦められる書物のひとつ。機会があったら是非お手元に。

さて、今日の夕刻、同級生のお父さんの通夜に参列する。葬儀を依頼された葬儀社の代表者としての立場もあるが、出会った「絆」を友情という言葉に代え、私の心を司会という世界で表現したいと考えている。

彼と知り合って、もう40数年の月日が流れている。書道に卓越し、いつも先生に褒められていた彼だが、訃報の電話でいっぱいの悲しみが伝わってきた。

きっと、何人かの懐かしい顔ぶれが揃うだろうが、それぞれが抱えている人生の悩みも飛び出す筈。同級生とは、そんなことを遠慮なくぶつけ合うことの出来る特別な関係かも知れない。

私達が少年時代を過ごした小学校は、今は、もう、その当時の面影が薄らいでしまっている。野球やサッカーをしたグラウンドの名残はあるが、校舎そのものは完全に変わってしまった。

古い木造校舎が今でも鮮やかに浮かんでくるが、夏休みのシーズン、担任の先生と一緒に各教室に放送設備の配線をしたことが懐かしい。

大阪市立東粉浜小学校、それは、私の人生に於けるノスタルジアの世界である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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