2008-06-09
手を合わせながら NO 2219
大阪の人なら誰もが知る法善寺横町に在する「水掛不動」さんで、今日、開眼供養の式典が行われた。
それは、過日に何者かによって倒された脇に座される仏様の修復が成ったからだが、近くの方々が「罰当たりが居るものだ。信じられん!」と嘆かれていた。
一方で、秋葉原で発生した信じられない事件を知った。それこそ「信じられない!」「考えられない!」ことだが、ただ被害者に手を合わせ、ご入院されている方々の容態が好転することを祈るばかりである。
なぜこんなことが?と疑問いっぱいになるが、過去の戦争の歴史や21世紀を迎えても戦争が続いている現実を考えれば、人間とは悪魔のような一面を秘めていることに気付かされるのである。
世界中に多くの宗教の存在があるし、あちこちに信仰の対象となる寺院や教会があるが、それらは死を迎えた人達に対する鎮魂の場所でしかない筈はなく、人が 不幸でないように祈り説いて理想郷を形成するべき存在なのに、「どうして戦争や殺戮が?」と理解出来ない世の中に恐ろしい思いを抱く出来事でもあった。
何度も書いた「加害者になるな」「被害者になるな」の言葉に空しさを覚えるが、今日あることは幸運である事実を改めて強く感じることにもなった。
被害者それぞれに葬送の儀式が行われることになるが、突然に遺族となってしまったご家族の方々のご心中を慮るとやるせなくなってしまうと同時に、自身もいつ被害者になるか分からない危険な社会であることを心にしなければならないことに怒りを覚えている。
秋葉原には何度か行ったことがあるし、買い物をしたこともあるが、奇しくも子供達の悲劇が起きた池田小学校事件の慰霊式典が行われていたことを知って不信の社会をいよいよ強く感じた日ともなった。
つい最近、近くのスーパーマーケットの前でひったくり事件があり、被害者となった高齢のお婆ちゃんが怪我をされて救急車で運ばれることがあったそうだが、 弱者や無関係の人達をターゲットにする卑劣な犯人達には、それこそ「罰当たり」として天罰が下されることを願いたく、人間社会の中で欠落しつつある大切な ものの崩壊という現実に恐怖と共に寂しさを感じている。
町を車で走っていると「紅葉マーク」を貼り付けた高齢者運転の車を見掛けるが、あれが何やら「落ち葉」に見える社会は悲しいこと。お爺ちゃん、お婆ちゃんが孫や曾孫に対して命の教育をしてくれる社会を重視する発想を忘れないで欲しい昨今ではないだろうか。