2024-04-12

楽器のこと  NО 10130

今日の番組「カンブリア宮殿」を観ていたら、「島村楽器」を採り上げていた。数年前、阿倍野の島村楽器でギターを買って、リハビリの効果を知ろうと昔やっていたギターをやろうと思ったのだが、自宅で弾いてみると、左手で源を抑える力が落ちており、右手でアルページオをしてみても指がうまく運動せずに止めてしまった。

昔はうまく出来たのにとイライラしたが、これが現実と諦め、寂しいことだがまたいつかやろうと考えている。

私は青春時代にギターに親しんだが、それは友人が教えてくれたからで、その友人も30歳を過ぎた頃に亡くなってしまった。亡くなる数年前から深刻な病気があったこと知っていたが、まさかそんなに早く亡くなるとは思っていなかったので衝撃だった。

その友人が最初に教えてくれたのがクロード・チアリさんの「夜霧のしのび逢」で、私にリードを担当させてくれ、一気に魅力に嵌まってしまった。当時にフォークソングが流行しており、「PPM」や「ジョーン・バエズ」のレコードを聴いて楽しんでいたが、フォーク・クルセダーズが好きで、「加藤和彦さん」の大ファンだった。

彼の音楽感性は素晴らしく、「白い色は恋人の色」を初めて聞いた時にはまさか日本の曲だとは思わなかった。

彼の作品の中でサトウ・八ローさんが作詞を担当された「悲しくてやりきれない」が大好きで、妻が亡くなってからこの曲がまた特別な思いを抱かしてくれる。

「白い雲は流れ流れて、今日も夢はもつれ、わびしくゆれる 悲しくて悲しくてとてもやりきれない。
この限りないむなしさの救いはないだろか」

これは確か2番の歌詞だと思うが、こんな詩がどうして書けるのだろうかと感心した。

35歳の時にハモンド・オルガンに挑戦したが、そのきっけになったのは妻の友人が教室を開いていたからで、中古の機材を先生の紹介で購入し、週一でれっすうんを受けていたが、ハジメにならttのがビートルズのおブラディ・オブラダで、足で踏むベースとコーÐ-を抑える左手の感覚が同時になってしまって大変だったことを憶えているが、すぐに十数曲のレパートリーが可能となった。

ハモンド・オルガンはエレクトーンと異なり、協会のパイプオルガンの機能みたいなバーの調整で音を鳴らす楽器で、古関祐爾さんも演奏されていた。

独特の音色が素晴らしく、「レスリー」という機能が秀逸で、そのスイッチを入れると音が別世界の音域にまで広がった。

隣の奥さんがピアノに挑戦されているそうだが、続いているのだろうかと興味を抱いているが、私より年上なのに素晴らしいと応援したくなる。
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