2022-11-27
思い出したこと ǸО 8998
「食事に行こう」と友人が来てくれ、「桃谷のポッケへ予約入れてタクシーを待ったが、一台も来ずに倒れそうになったのでキャンセルをして友人の割烹へ行った。
いつもの「湯豆腐」に鯛の薄作りを入れて「鯛しゃぶ」で食べたが、久し振りに食べて美味しかった。
カウンター席で映画談義になって盛り上がったが、昔の映画は良かったということでお開きになった。
3年前に一緒に函館旅行に行ったが、年が明けたら九州旅行に行こうと言われたので考えよう。
私は一人で旅行は無理みたいでエスコートとし随行して貰わなければならず、「ジパング倶楽部」に入会するように勧めたが、往復すれば2回の利用となるし、4回目からは3割引きとなるのだから利用価値があるだろう。
特急券、乗車券、グリーン券の全てが3割引となるのだから入会するべきだろう。3年前に函館に行った際は札幌にも立ち寄ったが、その時は私だけしか入会しておらず、彼の分は割引なしの普通料金だった。
函館行の全日空を利用したが、到着前に機長のアナウンスが流れ、「管制塔に不具合が発生し、到着が遅れることもあります」と言ったので機内が騒めいたが、すぐに五稜郭が見えて安堵した。
九州は武雄温泉駅に立ち寄り、現地の友人と食事をしてから雲仙「宮崎旅館」に行く予定だが、長崎まで新しい新幹線を利用したいし、二日目に予定している平山温泉の帰路に柳川に立ち寄って若松屋の「ウナギ料理」でも食べたいなあ。と考えている。
4年前に柳川に立ち寄った際、猛暑で熱中症みたいな状態になり、北原白秋緊年間に飛び込んで休ませてもらい、タクシーで西鉄柳川駅を経て博多に戻り「さくら」で帰阪した思い出もあるが、その時からすると随分弱ってしまったみたいで、果たして行けるのだろうかと気を病んでいる。
冒頭で触れた「ポッケ」だが、3回目の膵炎の原因となったのが「ビフカツ」を亜食べて⒮ノンアルコールのビールをコップ一杯飲んだことが悪かったみたいで、膵炎の薬「フオイパン」を持参していたのに飲まず、歩いて帰宅する途中に勝山通りまで来ると腹部に鈍痛を感じ始め、帰宅してから銭湯へ行くと吐き気があり、間違いなく膵炎の再発だと覚悟し、次の日に医院で採血検査を受け、緊急で「リパーゼ」と「アミラーゼ」の数値を調べて貰ったら異常に高く、膵炎であることが確定し、夕方にタクシーで天王寺の鉄道病院の救急外来へ行った。
過去に2回入院したことのある赤十字病院が満床で仕方なく鉄道病院に入院したが、診察をしてくださった先生が病室へ来られ、「随分と悪いよ。食事も管理栄養士さんにお願いしなければならないレベルだ」と言われて深刻な病状の衝撃を受けた。
入院して5日目だった。足の筋力低下を考えて点滴をぶら下げて廊下を亜露光と病室を出たら、「安静です」と看護師さんに叱られて病室に戻った。
ずっと絶食で微熱が続いていたので本当にしんどかったが、この時にお見舞いに来てくれたのが今日食事を共にした友人で、尾道のピピの社長と一緒に来てくれた。
一週間後に赤十字病院へ転院したが、車で移動する時に道路の継ぎ目の衝撃で鈍痛が酷くて参ったことを憶えている。
赤十字病院へ入院し、病室に入ったら前回の主事や看護師さん達から「また来ましたね」言われたが、11日間絶食だったことが印象に残っている。