2017-04-16

思い出したこと  NO 6038

特急 ゆふ熊本の地震の被害の現実をニュース映像で観た。2回目の「震度7」が発生するとは誰も想像しなかっただろうが、それが本震で衝撃的な甚大な被害が出ていた。

阿蘇のすぐ近くにある内牧温泉も紹介されていたが、20軒の温泉旅館の内で15軒の温泉が止まってしまったという事実に驚いた。

何度か訪れた旅館も紹介されていたが、調査をされた大学教授が地下50メートルで地層がズレていると指摘され、新しくボーリングをしたら温泉源はそのままだったようで湧出することが出来たと解説されていた。

熊本の象徴である「熊本城」もびっくりするような被害が出ていた。この城のすぐ前に「キャッスルホテル」があるが、50年前の若かりし頃に宿泊した時は現在の建物の前のものだった。

当時は余りホテルをあまり利用することもなかったので朝食でオーダーしたものが出て来てびっくり。スクランブルエッグは予想通りで期待通りだったが、オートミールが全く予想もしなかった代物。スプーンで一口進めたところでそのまま残した。

当時の熊本城がこんな悲惨な姿になるとは驚きだが、復興するのに20年も要するそうで、私がこの世に在住する間に復興した姿を目にすることは不可能である。

この世に生を享けてから自身の人生を振り返る。コーラというものを初めて飲んだのは16歳のこと、アメリカに統治されていた沖縄での体験で、薬みたいな飲料水に驚いたことを憶えている。

九州である大規模な合同葬を担当し、後日に請求書を届けに九州へ行き、別府から大牟田に立ち寄ろうと時刻表を調べたら、待ち合わせ時間が長いのでレンタカーに変更し、別府駅の近くでホンダのシビックを借り、湯布院へ登って行く急な坂道を走ったら、アクセルをいっぱい踏み込んでも速度がアップしない。それだけ厳しい登坂でパワー不足ということに気付いたが、その半月後に同じコースで行くことになった時、レンタカーショップに行ったらマツダのセンティアしか残っておらず、これなら3ナンバーだしシビックよりパワーがあるだろうと向かったが、やはり急な登坂ではパワー不足を感じた。

昔、九州にいる友人が関係する組織団体からゲストとして招かれてゴルフコンペに参加したことがあった。あるホールで前の組にトラブルがあって待たされることになったのだが、眼下に何か建物が並んでいるのでキャディさんに聞いたら、それは一色村に移転する前に
集団生活をしていたオウム真理教の施設で、それからしばらくすると移転問題でニュースになることになった。

このコンペは1泊2日になっていたが、私は宿泊をせずにその日の内に帰阪することにしていた。

ゴルフ場で頼んだタクシーに乗車、宮地駅から「特急ゆふ」で大分まで行き、そこから「特急にちりん」で小倉まで利用した。

この豊肥本線は自身の被害によって一部が不通になってなっており、代行バスとなっているそうだが、国道57号線の立野付近も大きな被害が及び、阿蘇大橋が崩壊したままになっているニュース映像に寂しくなった。

豊肥本線の立野駅は鉄道ファンに知られる「スイッチバック」が存在し、それだけ高低差があることを理解出来るが、豪雨で1年間不通になった時も阿蘇のホテルにいたことを思い出した。

何度か書いたことがあるが、生涯で最も驚いた豪雨だった。早目に朝食を済ませて脱出することになったが、途中ですれ違う車は警察車両や消防自動車だし、自衛隊のトラックの前面に「救援」という大きな表示がされていたのでびっくりした。

その時は肥後大津付近の道路は30センチ以上の冠水状況。ブレーキを濡らさないように左足でブレーキペダルを踏みながら運転したことが忘れられない。

今日の写真は「特急ゆふ」で、ディーゼル特急である。
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