2015-12-07

ちょっと心配 NO 4397

トマムのバス朝から医院へ行ったら、昨夜に立ち寄った割烹の友人が来ていた。彼がいつも和歌山のミカンや五条の柿をいっぱい届けてくれるので、お返しと思って昨夜に持参したのが愛媛県から届いた「紅まどんな」というオレンジだった。

料理人として輝く歴史を有している彼も「初めて知った」と美味しさに驚いていた。送り主に感謝のメールを送信しておいたが、動ける内に訪れて道後温泉に立ち寄りたいと思っている。

数日前から兆候に異変を感じていた問題だが、やはり検査を受けた方がよいと指導されて明後日に二つの検査予約を入れた。お蔭で九州から来阪される人物との約束も難しくなり、先方の会社に電話を入れて事情を伝えて貰うようにした。

数日前に「医療情報」があったが、その中で古い機種で気が変になるほどの騒音と書いたMRIを受けなくては仕方がないということになった。あちこちの病院の予約を調べていただいたらそこが最も早い日で、次の病院は何度か受けたところなので期待していたが、10日先になってしまうので止むを得ず苦痛の選択となった。

今月に入ってから医院や病院ばかり通っている。歩くことが重要と毎日1万歩を目標に挑戦していたら、想像もしなかった部分に異変を来した。

喫茶店で会った常連さんとの話題を。遠い昔にスキーの国体選手だった人物だが、北海道の雪質が好きで「ニセコ」「富良野」「トマム」にも何度か行かれていたそうだが、「トマム」が中国資本になったので「残念だけどもう行かない」と寂しそうだった。

秋に富良野やトマムへ行って来たが、その時の体験談をお話したら興味深く聞いてくださった。

私もスキーはそこそこ滑ることが出来たが、大病を患ってからは無理である。最もお気に入りだったスキー場は長野県の志賀高原「発哺温泉」で、高校生の時代に毎年行っていた。

定宿だったのは「岩菅ホテル」だったが、1回100円のジュークボックスが置かれていたことを憶えている。当時に流行っていた曲が「アンコ椿は恋の花」と「頬に掛かる涙」で、夕食が終わってから何度も耳にしたことが懐かしい。

このホテルから少し離れたところに「ブナ平」という初心者向けのゲレンデがある。俳優の石原裕次郎さんが骨折されたゲレンデとしても知られているが、普通のリフトとT型の棒がワイヤーにつながっている「Tバーリフト」というのが設置されていた。これは「そり」を滑らせて上がって行くタイプなのだが、慣れるまでは何度も途中で倒れる光景を目にした。

ブナ平のゲレンデから下って七曲という部分を過ぎると長いリフトがあり、随分と上の方まで行けるが、そこは初級者には難しい勾配があり、横滑りで降りて来る人達の姿も多かった。

そこに春スキーに行ったら、雪不足で七曲の部分に赤土が見えていて「そり」を担いでリフトの乗り場まで行ったことがあるが、3日目に記録的な豪雪が降ってゲレンデは雪崩の危険性から閉鎖された。その日は東京都内でも記録的な積雪があり、ニュース映像で都内の様子を観て皆で驚いていた。

それは昭和44年3月12日のことで、東京都内に30センチの積雪が記録されていた。

今日の写真はトマム駅で撮影した1枚。もう現在は真っ白な銀世界になっているだろうが、リゾート地まではこのバスに乗り10分弱で到着する。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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