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2003-01-26

くわばらくわばら   NO 325

朝、音楽の選曲をし、ナレーションの原稿とビデオ映像を確認して式場に行った。

 式場は、お寺。音響設備のメインシステムがセッティングされている司会の場は、境内の階段の下。会葬者の目の届くところでの暖房設備は無理。寒かったが仕方なくマイクを担当したが、ナレーションの声が震えている。

 こんな状況にある時、最も困るのが弔電代読時の「手触り」。かじかんでしまってやり難いのでイライラする。横に女性スタッフを付け、彼女に捲る役をさせたが彼女もかじかみモタモタしている。

 こんな時、ホテルや葬祭式場で担当することがどんなに恵まれているかを再認識する。

 一方で、今日は大阪女子国際マラソン。火葬場への行き帰りで交通規制が行われており、時間帯によっては阪神高速道路を経由しなければならい時もある。

 このマラソンと駅伝。大阪での恒例スポーツ大会は、秘められた部分で影響がある。親戚や会葬者がご存じなく、遅れたり来られなかったりすることが、この数年で多くあった。

 当然、この情報をご遺族側に伝えてはいるが、非日常的な混乱の中、そこまで完璧を求めるには無理があり、こんな結果を迎えてしまう。

 私は、明後日を久し振りの休日にと考え帰社したら、「明後日、社長の担当される葬儀が入っています」と言われた。

 明日の葬儀と明後日の葬儀は、不思議なことに、どちらもお医者様。医師の検診を受けようと思って考えた休日。それらがお医者様の葬儀で変更を余儀なくされる。これも何かの「縁」。何より「ご仏縁」を大切に考える私の性格。やはり、私が司会を担当させていただこう。

 しかし、今日のこの独り言をスタッフが覗いたら、きっと立腹するだろう。彼らは、連日連夜に残業。休日が取れない気の毒な状況になっている。そんな時、過日に協会のメンバー掲示板に書き込まれていた、神戸「株式会社 公詢社」の吉田社長の言葉が思い浮かんできた。

 『私達は、いつでも寝ることが出来る。でも、永遠の眠りにつかれた方のことを考えよう。生きている我々がお世話を担当しなければ誰がする。大震災の時のことを思い出して頑張ろう』

 さて、今晩のお通夜のビデオ映像放映とナレーション、大好評を頂戴し、「生」で語っていたことに驚嘆され、音声の吹き込みを懇願されることになった。

 現在、私が吹き込みをしなければならないビデオが多く溜まっている。時間を作って一気に収録しようとは思っているが、日々の仕事に追われっ放し。

 そこで格言を思い出した。

 「忙しいと言っていることは、崩壊の始まりである」

 ああ、クワバラクワバラ。
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