最新 最古
2003-01-30

透明の涙    NO 328

エンターボタンを押す時、時計を見ると、午前0時を少し回っている。日付が変わっての発信となりますがお許しくださいますよう。


 故人の 人生を表現する葬送の「かたち」、それが弊社の理念のひとつであるが、そのためには「人となり」となる取材が何より重要である。

 共に悲しみ、そこに生まれるコミュニケーションなくして葬儀はあり得ない。

 そんな思いをスタッフ達と共有できるようになったのは、弊社が加盟する「日本トータライフ協会」のメンバーとの交流が大きい。

 数十項目に亘る取材テーマからプロデュースが始まるが、秘められたお話に人柄が「ありてい」に把握できることも少なくない。

 思い出の写真を預かり、メモリアルボードと追憶ビデオの創作を行っているスタッフが、素朴な疑問を話し合う会話を耳にしたことがあった。

 「こんなの見られたら、きっと思い出されて泣かれるでしょうね。泣くって、いいことなのかな?」

 他人の前で涙を流す。感情を心に抑えることを美徳としている日本人。しかし、涙が生まれるプロセスを学ぶと存分に流すことが大切であり、そこで、やんわりと教えることにした。

 前にも書いた好きな言葉がある。

 「涙は感情が極まった時に生まれ、表れるもの。生きている、生かされている、生きなければならない証し、輝きなのである」

 私は、プロとして「お涙頂戴」は嫌いである。葬儀に参列された方々が、やがて自身にこの日が訪れることを感じていただくことに意義があり、そうなるような進行を創造したいと願っている。

 「あまりにも悲し過ぎますから」

 そんな考えから人生表現をしない葬儀もあるだろうが、人は、悲しい時には涙をいっぱい流すべきで、その先に生まれるであろう解決に「思い出を形見」というプロの仕事があるように思う。

 それぞれにそれぞれの思い出がある筈。ご遺影を見つめられる時、そこに生まれる真情の涙は、どんな色をしているのだろうか。きっと、澄んだ透明である筈だ。

 生理学的に涙は血液であることをメンバーが教えてくれたが、赤い色が透明になるまでのプロセスの解説で、凄いメカニズムがあることも学んだ。

 私達が担当する葬儀、それは、どこの葬儀社が担当するよりも静かな葬儀となる。そんな自負を抱いているが、それは、大切な方の大切な終焉の会場空間が、大切な宗教者を迎える儀式空間に「神変」させる努力が秘められているからで、非常に奥の深いもの。

 だからこそ終焉を迎える「命」というものに目覚め、涙を流して欲しいのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net