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2003-02-13

伝達の難しさ    NO 343

私の友人に、「話し方」に関する「言葉の世界」の女性プロがいる。

 彼女が、近々、岡山県に講演に出掛ける。

 講演を依頼された団体は、社会で問題になっている「家庭内暴力」のカウンセラー組織。カウンセラーをされる場合に重要な「説得力」につながる言葉を研鑽するという目的だ。

 彼女と私が会話をすると、「今の言葉、おかしい」のオンパレード。互いに言葉尻を捉えて論戦を交えることになるが、勉強になる楽しいひとときが過ごされる。

 「言葉はタダ」「言葉は時には暴力」

 そんな格言もあるが、新聞記事と同じで、如何に短くて相手に伝わるかが重要。時には「見出し」的な発想表現もテクニックとして必要である。

 落語に「枕」というのがあるが、起承転結へのストーリーやシナリオ構成の前に、プローローグとエピローグをしっかりと構築するのがプロの世界。

 しかし、相手の表情の変化を敏感に察知し、シナリオ変更が出来る柔軟性を持たなければ納得は生まれず、ここが最も難しいポイントであるように考えている。

 人間は、耳が二つに口が一つ。たくさん聞いて少し喋る。雄弁だけで相手を動かすことは不可能。心の扉を開けさせるには、まずは拝聴の姿勢が基本となろう。

 私は、ラジオ、テレビのナレーターや、フェスティバルホールやシンフォニーホールでのナレーターも体験したが、同じマイクの世界であっても、聴く人が見える見えないで言葉表現が自然に変化するもので、この微妙な部分が面白い。

 また、舞台上で喋るのと陰アナを担当するのでも大きく異なってくるもの。相手の存在の位置関係に大きく左右されるのも司会の世界。これは、体験したものにしか理解出来ないことと思っている。

 隠れ家で多くの吹き込みを行っているが、いい仕事をしようと思えば、空想シチュエーションの設定が重要となる。時にはスタッフに語り掛けるような光景もあるし、北国の雪に閉ざされた孤独な自身を思い浮かべることもある。

 これらは、すべて自分中心のシナリオ構成で進められていることになるが、カウンセラーとなれば、当事者の世界に入っていかなければ何も見えて来ない筈。ここが評論家と違うところだと確信している。

 日本トータライフ協会のメンバー達は、今、悲しみのカウンセラーとしての研鑽に挑んでいる。

「悲嘆」という言葉は簡単だが、その奥にある意味は重いもの。共に悲しみ、葬儀を担当したという事実に生まれる「思慕感」にしか寄り添う道はないだろう。

 同じ体験をした人にしか理解出来ない世界。それを理解するのがカウンセラー。悲しみのカウンセラーへの道は遠くて厳しいものがある。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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