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2003-03-02

ある浪曲師の存在   NO 360

初老の兆候だろうか、新聞を見るのに眼鏡が必要となってきたが、眼鏡を持ち歩くことはせず、喫茶店などではぼやけた文字を読んでいる。
 
ある時、大きな写真が掲載されているページが目に飛び込んできた。どこかで見た人物。「彼だ」と思いながら見出しから記事に入って行くと、やはり間違いなかった。

 生野区や林寺という地名の文字があちこちに散りばめられ軽快に躍り、一気に読み込んでしまった。

 彼は、よいことをされているので実名を出すが、本名「小島 勝」さん。芸名「廣澤玉造」さん。廣澤という姓でお分かりだろうが、本業の他に浪曲師でもある。

 『旅ゆけば駿河の道に茶の香り』『馬鹿は死ななきゃなおらない』など、清水次郎長伝や森の石松と三十石舟の一説の名調子を、40代以上の人なら耳にされたことがある筈。それが浪曲の名人と呼ばれた「廣澤虎造」さんの世界で、そのご一門の方のようだ。

 記事で知った小島さんの浪曲には特徴があった。看板とも呼ぶべき大きな絵をご用意され、紙芝居的に浪曲を語られるそうで、老人ホームの慰問などを積極的に活動され、今や、高齢者だけではなく若い人達にも人気が生まれている。

 テレビやラジオの出演も多く、「日本で初めての紙芝居浪曲師」として注目されている彼。

 そんな小島さんと数日前にお会いすることになった。彼は、まだ若い世代だが、上述のように人望が厚く、地域で町会長をつとめられている。そんな中、地域でご不幸があり、彼が世話人の中心となった葬儀を弊社が担当することになった。

 当日の担当責任者となったのは、弊社のホテル葬担当の2名。男性の部長とミス・ホスピタリティとの愛称で呼ばれる女性主任のコンビだった。

 この葬儀の頃、私の風邪がピークの時期に重なり、熱っぽくて声の調子がまるで別人。スタッフ達の顰蹙を買ったが、彼らは精一杯努力し、私がお通夜に行った時には、メモリアルボードと追憶ビデオを完成させてくれていた。

 その数日後、事務所に入ると大阪城の写真の目立つ1枚のポスターが連絡ボードに張ってあった。興味を抱いて読んでみると、それは来る3月30日に開催される浪曲発表会の開催案内。会場は大阪文楽劇場で、彼の芸名がトップに掲載されていた。

 この独り言では紙面が限られ詳細を記することが出来ないが、上記の文楽劇場での発表会の案内や、彼の活動を表記されるHPの存在があるので下記申し上げる。是非、ご訪問くださいませ。

 生野区は、下町だが「いい町」である。地域の活動にあって高齢者を大切にしているあたたかい町と言えるだろう。

 そんな中、彼の存在と活動に対して、心からエールを贈るところである。

 廣澤玉造さんのHP   http://www004.upp.so-net.ne.jp/tamazou/
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