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2024-04-22

行きたいけれど  NО 10137

私のゴルフの師匠は大阪での喫茶レストランを閉業して故郷である熊本へ帰られたが、何度か隈本駅まで迎えに来て貰ってご自宅へ参上したこともある。

ご夫婦が大阪におられたれ時には「大甲賀」のメンバーで、よく一緒にラウンドしたが、大甲賀のパブリックコースで「神コースは」キャディさんが付かないのでセルフでラウンドとなるが、ご夫婦と一緒に行くといつも奥さんがキャディーさんの仕事をしてくださり、テキパキとエスコートしていただいたことが印象に残っている。

師匠の痛い電話番号を教えて貰っていたが、3月に掛けたら奥さんが出られ、「今私入院中で、亞Ⅿ李時間がないの」と言われてびっくり。「主人自宅で取寂しく威喝しているから宅へでんわをかけてやって」と言われてン号を聞き、掛けたら師匠が出られ、奥さんが宇宇インされていることを離され、もう時間の問題だと言われたで私も美しくなり、12月に妻が亡くなったことを伝えたら、慰められたが、夫婦で一緒に絵神宮へ参拝したこともあり、鳥羽のーサイドホテル宿泊した際、奥さんの誕生日だったとから夕食時にシャンパンで乾杯した際に奥さんが「私の人生の誕生日にあんパンでン乾杯したことは初めて」と喜ばれたことを思い出す。

松坂の「海津」にも2回行ったこともあるが、師匠夫妻とってお気の毒なことは、お孫さんが合宿中に熱中症亡くなられたことで、それはあとで知ったことだが私が胃病を患って入院していた時のことで、岡山からり換えられた「特急やくも」が倒木から遅れてまい、臨終に間に合わなかったいう悲しい機事も起きていた。

その孫さんは私も何度も会ったことがあり、優れた際才能で新聞社の絵画展で何度も入賞されたこと知っているが、何よりぐびーの世界ではられる存在で、小学生の時に大学から乳が気宇を希望された威嚇の素晴らしい子供だった。

タモリの番組「全国の大きな小学生来てくれるかなあ」で出演し、「君は本当に小学生?」と疑われた友話題に残っている。師匠の自宅の仏壇にのお孫さんの写真があるのを目にして思わず弥陀を流したことも憶えているが、お孫さんの弟さん立派な体系で楽しみで期待されている。

還暦を迎えた頃に運土した際、「セカンドが3番手違うようになった」と互いが嘆いていたが、ドライバーが飛ばなくなり、私は杉原プロみたいにセカンドで「直ドラ」を振っていた。

奥さんのご仏前に手を合わせに行きたいが現在の体調では無理で、西に向かって手を合わせている。

師匠のご自宅の裏にあった納屋が熊本地震で損壊してしまったし、家の中が危険と考えて車中泊していたら、車のスプリングの関係で異常な揺れを感じ眠れなかったと仰っていたが、大きな地震が来ないように願っている。
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