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2024-04-23

懐かしい  NО 10139

昨日の深夜番組を観ていると、「江ノ電のある風景が流れて、江ノ電の電車が走る映像や各駅の紹介もあって興味深かった。

まだ絵の島へは行ったことがないので江ノ電には乗っていないが、死ぬまでに言って見たい一つである。

その番組の先週だったと思うが「長野電鉄」が採り上げられ、旅人として出演されていた女性が、どこかの駅に展示されている昔の特急車両の中を紹介していた。

私が初めてスキーに行ったのは15歳の時で、大阪駅からSLの「準急彩雲」で長野まで行き、長野駅で1時間ほど待って長野電鉄の特急で湯田中まで行き、そこから蓮池行のバスで丸池まで乗車し、ロープウェイで発哺温泉まで行き、その後に定宿になった「岩菅ホテル」に行っていた。

当時の特急車両が懐かしく観られたので嬉しかったが、初めて「岩菅ホテル」を利用した際に1階の食堂にジュークボックスが置かれ「都はるみさん」の「あんこ椿は恋の花」と「ボビー・ソロ」の「ほほにかかる涙」ばかり流れていたことを憶えている。

近いゲレンデはブナ平だったがそこは石原忠次郎さん」が骨折されて有名になったこともありティーパーリフトが設置されていた記憶がある。

ゲレンデを下ると七曲りがあり、そこから何度もリフトを利用したが一緒に行ったうちの一人がリフトから落下した事件もあって忘れられない思い出となっている。

落下した場所が偶々吹き溜まりでかなりの積雪があったので、ケガも奈加って幸いだったがその人物にニックネームが「絶壁」だったので、しばらくはその話題で本人は嘆いていた。

前述の七曲りで偶然に小学生の3年生の時の同級生と会ってびっくりしたが、数年前の同窓会の時に本人に話したら憶えていなかった。

20代の頃、二人の子供に「雪の所へ連れて行ってやる」と近鉄特急で名古屋へ行き、「急行あずみ」で松本まで行き、浅間温泉に宿泊したが、名古屋を出て30分もすれば銀世界になると教えていたのに全く雪はなく、松本駅から見えた山々も積雪の様子がなく、「嘘つき」と抗議を受けた。

そんなところから次の日に乗車したタクシーの運転手さんに「雪のある所まで」とお願いし、高額なタクシー料金を支払って「車山高原」まで行ったことを憶えているが、スキーをⓇ体験させようと発哺に移動したことも懐かしいが、あまりにも冷え込んだところから「帰ろう」と泣かれた思い出も忘れられない。
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