2003-03-21
来世に夢を託して NO 379
我が国では、毎日、約2700名の方が死を迎えている。これは、年間死亡者数を365日で割った数字。
これを世界中の人口比率に当て嵌めてみると、世界では、毎日、約135、000名が亡くなっていることになる。
日本の長寿国ということを割り引いて考えてみれば、20万人という数字に及ぶ可能性もあるだろう。
天災や大事件の発生があれば一挙に数字がアップするが、戦争の犠牲者で増えることだけは避けたいもの。解決の出来ない悲しみの葬儀なんて誰も望んでいないもの。
新聞各紙は1面から数ページ、戦争記事のオンパレード。「被害者」「犠牲者」の文字がいくつも登場するが、これらを読みながら、ふと、運転免許更新の際のことが思い浮かんできた。
講習を受ける時間に、生々しい事故現場を撮影したビデオ放映がある。そして、「事故を起こさないように」「安全運転を」という指導の言葉があるが、飲酒運転の事故の記事が毎日のように掲載されているではないか。
「葬儀の光景を見て欲しい」「悲しんでいる遺族の姿を知って欲しい」
それは、悲劇の葬儀を数多く担当してきた私の思い。これらがどうしても戦争に被さってきて仕方がない
私は、単なる葬儀屋。国家や大統領を批判する立場にはないし、こんなことを書くことは僭越過ぎるだろうが、国を動かす前に、また、運転免許を取得して車に乗る前には、命の尊さと悲しみだけは学んで欲しいもの。
昨日、神様と仏様について私流の勝手な物語を書いたが、今日の毎日新聞朝刊に記載されていた記事の一文に目が止まった。
それは、イスラムの「アズハル」の最高指導者の発言で、次の内容であった。
『米国のイラク攻撃は政治的なものであり、宗教戦争ではない』
ジハード(聖戦)という言葉も飛び交っている。開戦直後のフセイン大統領の演説には「聖戦万歳」「神の下で勝利せよ」という発言もあったそうだ。
神や仏は争いを絶対に望まない筈。ニューヨーク・テロ事件では、衝撃の悲嘆にくれる人々の「オー・マイ・ゴッド」という叫びが記憶に新しい。
トマホークが飛び立ってしまっては「念仏」や「法華経」でも止めることは出来ない。その発射命令を出す人、スイッチボタンを押す人にこそ「神仏」が必要なのである。着弾地の光景は、「神のみぞ知る」、そんなことは悲しいこと。
過去に地下鉄サリン事件の発生があり、関わった「ゴッド」が被告の立場に置かれているが、突然に苦しくなって死を迎えた人達のことを考えたい。あの人達は、何の理解にも至らず殺害されてしまったのである。
こんな危険な世の中、いつ自身が被害者になるか分からない時代。ミサイル攻撃を受けた時、攻撃をした相手のトップに怒りを抱いて死を迎えるならまだ少しの救いがあるかも知れない。サリン事件、あれは、それすらなかった無念この上ない死となったのだ。
来世と神仏の存在を心から信じ、そして、祈る。