2003-07-20

特急「かもめ」    NO 491

テレビや新聞を観ると、長崎本線「特急かもめ」の無残な事故の光景が飛び込んできた。

 今日の朝刊のトップ記事で、ブレア首相の訪日がかすんでしまう扱いとなっていた。

  電車は安全だと思っていたが、こんな事故を見ると本当に恐ろしい。「白いかもめ」として人気のあった特急列車、日豊本線の「白いソニック」と同じ系等で、 私も何度も利用した列車であり、何十回も乗った「つばめ」と同様に愛着があり、不慮の事故被害者の早い回復を願っている。

 「かもめ」には特別の思いがある。私は若い頃に名神高速道路で居眠り運転から大事故を起こし、奇跡的に助かったという歴史がある。

 病院の白い天井を見ながら軽度の記憶喪失にある自分に気付いた衝撃もあったが、40日間の入院でやがて退院。命を改めて頂戴したという貴重な体験であったと感謝している。

 退院後しばらく自宅で療養を続け、ようやく回復した頃、生きることが出来た喜びに青春の謳歌を併せ、4泊5日の九州一人旅に出掛けた。

 貯金を引き出し、生きた実感を求めて豪勢な企画を立て、1967年、大阪駅発の「特急かもめ」の1等車に乗った。その当時の「かもめ」はディーゼル特急。朝8時前後に発車した記憶があるが、旅行カバンとケースに入ったギターを伴っていた。

 約10時間の所要時間で熊本駅に着き、熊本市内の旅館に1泊し、次の日、当時に流行しつつあったホンダのS6のスポーツカーをレンタルし、阿蘇を回って内牧温泉に1泊、開通して間もない「やまなみハイウェイ」をドライブした。

 その日に宿泊したのは城嶋高原にあるベップニューグランドホテル。ここではロマンチックで優雅な時間を過ごすことが出来た。

 次の日、大分市内と別府市内を見学し、その日夕刻に出港する関西汽船の客船「るり丸」に乗船。20時間の船旅で大阪の天保山に帰ってきた。

 この「るり丸」、就航してからかなりの年数が経っており、特等の部屋の窓側に固定された椅子が、古ぼけた麻の座布団だったように記憶している。

 長時間の船旅、階上のデッキでギターを爪弾きながら歌い、生かされたことへの大きな感謝をしたことが私の人生の新しい始まりだったかも知れない。

 やがて様々な事情で葬祭業を後継することになったが、葬儀の仕事を「天職」と考えているのはそんな歴史があったから。

 人は、いつどこで人生が急変することがあるかも知れないが、プラス思考で生きて生きていこうと思うようになったきっかけであったことだけは確かである。

 今日は、早朝から出張だが、昨夕に私の同級生のお父さんが亡くなられたと電話があった。葬儀の進行は私が担当しなければならず、早急に切り上げて帰阪しようと思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net