2024-05-23
悪運強く NО 10159
小学1,2年生を伊勢のいざわ小学校の「分教場」で過ごした思い出があるが、2年生の時に新しい先生が赴任されてきた。その先生の名字検
索したら、志摩に多い名前と出てきてびっくり。わ達しが3年生から大阪へ転居して行くことが分かっていたので先生は特別にかわいがってくださり、ある日ご自宅へ連れて行ってくださった。
私の記憶では現在の近鉄志摩線の穴川駅の近くだったと思うし、机のあった部屋のガラス窓から船着き場が見えていたことを憶えている。
先生は大学を卒業されてからしばらく軍人として奉職されていたそうで、現役時代に持っておられたというサーベルの剣を見せてくださった。そして帰る際に箱入のプレゼントを下さり帰ってから確認すると、音楽の「指揮棒」が入っていた。
それから一か月ほど経った頃、クラスの10人ほどを伊勢市駅近くの映画館へ連れて行ってくださった。残念ながらその映画のタイトルや内容は憶えていないが、宇治山田駅から鳥羽行のトレーラーバスで信じられない体験をしたことが忘れられない。
鳥羽行のバスは長蛇の列になっていて座れないと覚悟をしていたが、100メートルほど離れたところからトレーラーバスがやって来るのを観て先生に伝えたら「鳥羽行の臨時だ」と言ってそのバスに乗ることになった。
祖お陰で車内はガラガラで空席もいっぱいあったが、吾々子供たちは運転手さんがいる後方法が見える場所に座り宇治山田駅を出発した。二見を過ぎて鳥羽へ向かったが、前方を走るのは満員のトレーラーバスで、テールランプを追い掛ける状況が続いていた。鳥羽駅に近いところまで来た時、カーブを曲がったら、前方を走っていたはずのバスが消えて不思議に思って伊tら、その場明日は接触事故から崖の下へ転落しており、20数名の人が亡くなる大事故だった。
その事実を知ったのは帰宅してヵら流れたラジオのニュースで知ったが、母や姉たちが私が宇治山田からバスに乗って鳥羽へ向かうことを知っており、「無事だったのえ」と驚かれた。
もしも満員のバスに乗っていたら私の命もなかったかも知Ⓡないが振り返れば悪運が強いのかもしれない。
次の日、学校へ行くとその話で盛り上がっていたが、同級生達から臨時バスに気付いた私に感謝されたので驚いた。
伊勢市駅から宇治山田駅まで歩いて10分ほどの距離だが、伊勢に行く度にその映画館があった場所を懐かしんでいる。