最古
2024-04-19

思い出したこと  NО 10136

妻と一緒にサンパウロへ行ったのは47年前だったが、数年前、妻は深いご仏縁に結ばれるお寺様の団参で山プロに行っていた。

現地のお寺の檀家さん達との交流の合間に、親戚になる人物が面会に来られ、お孫さんが日本行きたいと言われるので「お任せくださいと対応したそうだった。

お孫さんは高校生でずっと日本語を勉強されており、大学で日本のっ研究をしたいと言われていたそうだった。

親戚の人物はサンパウロの銀行の役員さんでかなり裕福だったらしいが、妻が帰国してから国際郵便が届くようになり、文面は「平かな」で書かれてあり、私の返信も「平仮名」にしていた。

ある時、ネットなら変換が可能でメールにすれば便利だと思い、アドレスを書いて送ったらメールが届くようになったが、変換っから一部が漢字になっており、便利な時代だと再認識した。

やがて大学を卒業された頃、対日されるという内容が届いて楽しみにしていたら、滞在先が門真のシェアハウスだそうで、ネットで検索しても見つからず、仕方なく京橋から京阪電車で門真へ行、警察署や市役所で尋ねてみたが判明せずに諦めて帰宅したら、メールが届いており、神戸のホテルに滞在中だそうで、次の日にそのホテルへ行って会いに行って来た。

チェコのプラハに在住しているそうで、「プラハは美しい街ですから来てくださいと言われたが、帰宅してから飛行機の便を調べたら、直行便はなく、フランクフルトやミュンヘンから乗り換えしかないと分かった。

昨日の深夜テレビを観ていたら、ヨーロッパの「トラム」が採り上げられていて、偶々プラハのトラムが紹介されていたが、中世の街を走るトラムがかわいい感じがした。

神戸のホテルで会って、三ノ宮駅のレストランで食事を共にしてからメリケン波止場の方へ出掛けたが、アンパンマンミュージアムがあるところから風船を手にした子供たちが多く、過去に初孫を高知県のアンパンマンミュージアムへ連れて行ったことを思い出した。

太平洋が見えるホテルで1泊したが、帰阪するつもりで岡山から中国道へ入り、美作まで行った際にもう一泊するかと考え、ポピースプリングホテルへ宿泊した。

フロントでチェックインをしていると総支配人が出て来られ、私の名前を呼ばれたのでびっくりしたら、少し前までおおs化のプラザホテルにおられたそうで、私が研修に行った際のことを憶えておられ「その節は」とご挨拶されて恐縮した。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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