2003-09-11
宿 題 NO 543
アメリカの同時多発テロから2年が経った。現地時間との時差を考えながら手を合わす。
日本的に言うなら、3回忌。今でも世界中で悲惨な争いが続いているとは悲しいこと。人間とは愚かな動物と社会学者が書いていたが、さぞかし神仏が嘆かれていると思ってしまう。
そんな3回忌の日、私は、気掛かりとなっていた「宿題」をやった。
過去にホテルで通夜と葬儀を行われたお客様から、先代のご法要にと、追憶ビデオの制作を依頼されていた。
このご法要は、50回忌。たくさんの資料やお写真をお預かりしたが、目を通すだけでも大変。なにしろ明治28年生まれのお方。当然、お写真はカラーではない。
ご家族がリストアップされたお写真を元に、映像編集は、すべて女性スタッフが担当したが、完成ビデオをチェックしていた別のスタッフがエンディング部分に「?」を感じ、編集変更を命じることになった。
放映時間は、8分間。ここにナレーションを吹き込まなければならないが、50回忌用となると簡単ではない。原稿創作が難しい。
そこで、明治、大正の時代背景を把握することから始めようと手持ちの年表を開いたが、残念ながら明治30年からしか記載されていない。
<こんな場合はインターネット>ということで、30分ほどあちこちのページを開いてメモをする。
明治27年に日清戦争勃発。故人が生まれた年には下関条約調印などと、歴史で習った筈のことを懐かしく思い浮かべながら構想を練る。
そんな時、お預かりした資料の中の新聞記事に目が留まった。それは、故人の葬儀が行われた日付のある昭和30年の朝日新聞と神戸新聞。
「街の義人 死後 善行明るみに」「覆面の義人 ついに分かる」「歳末の美挙 死ぬまで名を秘めて」
そんな見出しで大きく報じられている美談。そのすべてをここで書くことは出来ないが、見出しだけでも故人のお人柄がご理解いただけるだろう。
改めてお写真を拝見する。やがて、シナリオ構成が浮かんだ。
50回忌ということからも、人生物語を割愛し、「お人柄」を中心にした「命の伝達」をコンセプトに一気に書き上げた。
しかし、その結果、ナレーターと決めていた女性スタッフと相談し、私と2人バージョンで吹き込むことにした。
私のスケジュールの都合で吹き込みは、2日後。原稿をプリントアウトし、しっかり練習しなさいと命じておいたが、夢の中でナレーターをつとめている光景が出るようになれば合格だ。