2003-10-23

虎の巻談義    NO 584

事務所に入ると、私に関係するメールがプリントアウトされて置かれてあった。

 その中に東京の女性からのものがある。彼女は、葬儀の司会者だそうだが、近々に発行する「葬儀の司会実務 虎の巻 温故知新」を是非と書かれてあるが、数日前に入っていたメールと、お名前が1字違っていた。

 それは、単なる入力ミスなのかも知れないが、今回は価格のことに触れられ、まだ新人なので給料が低く、高額だったらどうしようと心配されておられるとのこと。

 もうすぐ「号外」で価格表記がされるだろうが、これまで内容をご覧いただいた司会者たちは、全員が安いという付加価値を認めてくれているので妥当かなと思っている。

 数人の司会者を束ねておられるプロダクションからも電話があった。

  「1冊求めてコピーをし、全員に配ることは許されるのでしょうか?」ということだったが、著作権という問題の以前に、こんな教材は欲しいと思った人が手に 入れ、自分だけのものにしなければ効果が少ないもの。なぜなら、プレゼントされたものを真剣に勉強する姿勢は低いだろうし、その意思のない方に手渡っても 「宝の何とか」ということにならないだろうか?

 研鑽で大切なことは自身の行動。司会者は、往々にしてトーク技術をソフトと考えてしまう ことがある。それは決して誤りではないが、知識を得ることの出来る教則本を入手することが、そのトーク技術をグローバルに広げる結果につながり、それらが 重要なソフトであることも認識いただきたところ。

 恐怖感を取り除くこと、それは、司会者に対し、確実に余裕を与えてくれるもの。そこでトークに一層の磨きがかかり、「味」を生む環境が整うのである。

 弊社のスタッフのひとりが、「温故知新」の購入者に対し、私の司会の実際を編集したビデオをプレゼントしてあげたらいかがでしょうかと提案し、それに対して、上司が、「そんなの何十万でも安いものだぞ」と説教している光景にぶつかった。

 ビデオなんて販売するものではない。勉強したい人は、熱い思いを訴えられ、全国から隠れ家に来られているではないか。その行動力に応えてあげることが私の仕事。

 そんないい格好の言葉で収拾させたが、これまでに「ビデオを販売していただけませんか」というアツカマシイ電話が何本もあったことも事実。

 勉強をしたいと思ったら、まずは行動をされること。そんな時、司会者とはグレードの高いサービス業であるとの認識と、ことが葬儀だけに、礼節を重んじられる方々だけに限定したいとは思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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