2016-05-17

感じた言葉  NO 4857

お寺の掲示板数日前に蕎麦屋さんに昼食に立ち寄ったら、近所の知人が来られており面白い体験談を伺った。

半月ほど前に親戚の葬儀で他府県に行かれたそうだが、葬儀当日の開式前に「献灯の儀」が行われ、その進行の進め方やコメントのおかしさに衝撃を受けたそうだ。

何度も弊社の式場に参列されていることもあり、「献灯の儀」を含む「奉儀」についてご存じだったが、この発想が私から始まり全国各地へ広まっていた歴史の事実もご存じで、
招かれて指導に行った同業者もあるし、アポがあって来社されて指導をしたこともあるが、この「奉儀」というものを発想して実行したプロセスを学んで貰うことが重要で、その背景にある意味と意義を学んで貰わなければ偽物となってしまう。

「学ぶ」と「真似ぶ」の結果に差異が生じるのは常識だが、やはり本物を真剣に学んで欲しいと言うのが発案者である私の不変の願いであり思いでもある。

この「法義」を担当させる時のキャスティングは、女性スタッフ1人バージョンから10人バージョンまで様々あるが、担当するスタッフ達に「故人の大切なご終焉の儀式に、ご仏縁から私が担当させていただくことになりました。一生懸命努めます」と手を合わせ、巫女さんや天使の立場で所作をするように指導していた。

キャスティングもそうだが、シナリオにも様々あり、それによって司会者のコメントが変わるのは当たり前だが、「一つ覚え」のように同じパターンを繰り返していたらおかしくなるのは当たり前である。

随分昔に指導した地方の同業者が来社、弊社のその日に行われていた2カ所を式場の葬儀を見学されてから喫茶店で話し合ったら、「私達が行っていたことは偽物で恥ずかしい限りであると知りました。戻ってから話し合ってもう一度原点から始めます」という言葉もあったが、半月ほど経ったら先方の社長から電話があって「指導して欲しい」と懇願され、1泊の行程で2日間徹底して指導したこともあった。

さて、ネット社会になって様々な業界にややこしいビジネス展開が繰り広げられている。宣伝のキャッチコピーに衝撃を受けるケースも目立って増えているが、我が業界に多くなっているのが葬儀社を紹介して紹介料を目的とするビジネスで、「雨後の筍」のように次々に登場して来ている。

中には航空会社みたいに「早得」なんて恐ろしいキャッチコピーを表示している業者もあるし、500円で登録したら小さな葬式が「168000円」で出来るなんて誘いも掲載されていた。

家族葬が潮流となった社会だが、その背景には無駄な費用を掛けない考え方にぴったりのネーミングが「家族葬」だったからで、実際には普通の葬儀形式を要望されているケースで費用を抑えるために「家族葬」という言葉に流れた人も多いようである。

社葬や大規模な合同葬、また「偲ぶ会」や「お別れの会」のように日を改めて行われる場合には「密葬義」という形式で必要だったが、最近の「家族葬」の中には「秘密葬」みたいな要望もあるので世の中の変化が著しい。

業界が作ってしまった新語にも悲しい響きがある。「直葬」や「一日葬」という言葉だが、そんなことを打ち出している業者にはプロの誇りはないのではと思ってしまうこの頃である。

今日の写真はお寺の掲示板にあった言葉を。
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