2022-04-11
指宿の思い出 ǸО 8870
鹿児島空港からホテルへ向かうタクシーで、運転手さんから「特急はやとの風」が亡くなったこと聞いた。
鹿児島周辺には「海彦山彦」や「伊三郎 新平」号も走っていて興味を持っていたが、「まだ乗っていない列車だったので寂しさを覚えた。
肥薩オレンジ鉄道を走る「オレンジ食堂」にもぬ乗りたいが、機械がないので実現していない。
鹿児島中央駅から指宿に行く時に「いぶすきの玉手箱」で往復したことがあるが、正面から見ると半分が白と黒になっているのにびっくり。発車前の停車中にはドアの上からミストが出ており、それが玉手箱に由来すること知って信じられなかったが、古い列車をリニューアルされて車内はおしゃれな空間になっていたが、線路の基本的な土台が悪いみたいで、異常な揺れで乗り心地は最悪だったし、車内販売される「地サイダー」も美味しくなかったことを憶えている。
揃時に旅行は、九州の友人夫妻と鹿児島中央駅で待ち合わせてから昼食を共にしてから指宿へ向かったが、伊丹から鹿児島へ向かうANA便の機内で飲んだ「地サイダー」ももう一つだったし、衝動買いしてしまった「ANA」のロゴ入りの腕時計の説明書を貰って秒針の合わせ方を読んで文字盤を見たら秒針がなかって驚いたことも忘れられない。
その時計は1万円だったが、スウェーデンの時計でびっくりするような薄さでずっとせずに置いてあるが、オーストラリア旅行に出発する二日前に止まってしまい、貴金属店へ持ち込んだら電池切れということが判明し、新しい電池を入れたらずっと時を刻んでいる。
指宿で宿泊したのは「白水館」だったが、そのきっかけになったのはテレビのCMで観た白水館の女将さんだった。「にんにく卵黄」のCMだったが、無性に指宿に行ってみたくなり、次の日に友人に電話を掛けて行くことにした。
夕食時、友人が愛飲している焼酎「森伊蔵」が制限なく飲めるので喜んでいたが、マッサージの方に聞いたら、女将さんが応援されていたこと知った。
2泊したかったが、夕食時に電話がブルブルして出たら私の幼馴染の人物のお姉さんが亡くなられたそうで、次の日のお通夜に間に合うように帰阪した。
その友人夫妻とは九州の温泉に行っていた時、また電話がブルして出たら、今度はお兄さんが亡くなられたそうで帰阪した。
これも不思議なご縁で、幼馴染と顔を合わせる度に「ごめんね」と言われている。