2021-11-23

本当の50年  ǸО 8747

707型機 バリグブラジル航空話題になっていた木下都議の辞任ニュースがあった。あらゆるメディアでパッシングを受けているが、議員が破廉恥な行動をしていたと言うことではなく、そんな行動をする議員に票を投じて当選させてしまったと考えるべきだろう。

この人も哀れな環境にあったみたいで、周囲にアドバイスをしてくれる人物がいなかった不幸もあるが、タイミングが随分と遅かったことは否めないだろう。

小池都知事や若狭氏の応援演説もあったようだが、キャスティングでミスするようならプロデュース力が欠如していることになり、パフォーマンスがお得意の都知事さんの去就も関係する問題である。

韓国の全斗煥元大統領が90歳で亡くなられた報道があった。随分昔のことだが飛行機嫌いの私がどうして見早く帰阪しなければならないことから羽田から伊丹への飛行機を予約した。

東京駅から浜松町へ移動し、モノレールで羽田空港へ向かったが、途中で見える運河にも多くのボートが浮かび警察官の姿が見える。それを理解することになったのは羽田空港に到着した際のチェックインの時で、窓口の方から「来日されていた大統領が韓国へ帰国されるので、少し出発が遅れるかもしれません」と言われたことからで、30分ほど出発が遅れてイライラした体験だった。

飛行機は昔から大嫌いだが、妻と一緒に伊丹から羽田便を利用したことがあった。それは「787型機」が就航始めたことに興味を抱き、一回搭乗してみようと思ったからだったが、天井が高い機内の広さにびっくりしたし、窓ガラスがハイテクになっていたので驚いたことを憶えている。

妻との旅行で長崎県の大村空港から伊丹へ登場した際、コーヒーや紅茶のサービスが始また頃に福岡上空で乱気流に巻き込まれ、多くの飲み物が私の服の上部に掛かってしまい、熱い体験をしたこともあった。

その時の機材はフレンドシップの40人乗りで、翼が上部に付いているところから窓の景色を邪魔することなく、結構航空機ファンに人気があった。

最も長距離で利用したのは「707型機」で、羽田、アンカレッジ、ロサンゼルス、リマ、リオデジャネイロ、サンパウロの行程で33時間を要したものだった。

我が国からアメリカの被害海岸の都市やヨーロッパへ飛ぶには当時の機材で直行することは難しく、アンカレッジで給油する必要があった。昭和天皇がヨーロッパへ行かれた際もアンカレッジ経由の行程だったが、「初めてアメリカの国土へ来られる」ということから当時の大統領であったニクソン氏がアンカレッジに来られて歓迎のひと時が行われた史実もある。

「707型機」は4発エンジンのタイプで、当時の最も利用された機種だが、復路はサンパウロ、リオデジャネイロ。リマを経てロサンゼルスまでバリグブラジル航空の「707型機
を利用し、ロサンゼルスから日本航空のジャンボ機でホノルルを経て羽田に戻った。

今日11月23日は勤労感謝の日だが、我が夫婦が初めて出会った記念日でもある。あれから50年を迎えたが、振り返れば様々なことがあった。70代になったら温泉付きの有料老人ホームにでもと考えていたが、予定していたお金はギャンブルで使われてしまったみたいで、妻は現在介護施設に入っているが、面会に行く度に哀れに感じてしまう。

この出会いについては不思議なドラマが秘められているが、「犬」がキーワードになった忘れられない体験でもあり、次の機会に紹介したいが、きっと信じられないだろう。
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