2021-10-28

有難う  ǸО 8923

氷川丸 病院船時代小笠原近海で起きた海底火山の噴火で発生した軽石が沖縄に到達して深刻な被害が及んでいる。くろしおに乗って日本列島へ近づくことも考えられ、四国や九州も大変だ。

漁船がエンジンに吸い込んでしまうので出航出来ないケースが多いが、生活に響くのだから最悪だ。

今日のグーグル検索の図柄に「加納治五郎生誕161年」とあった。講道館の創始者であり国際オリンピック委員会の役員としても知られる存在だったが、中東で行われた会議が終わってアメリカに渡り、シアトルから横浜へ向かう「氷川丸」に乗船され、横浜港到着の二日前にご死去されてしまい、ご遺体での入港となったことも知られており、氷川丸は現在でも横浜に係留されている。

氷川丸は戦時中に病院船として徴用された歴史もあるが、現在係留中の資料館を見学したのは半世紀前だった。

横浜のニューグランドホテルの見学もしたし、外国人墓地の見学もしたことを憶えているが、その後に横浜を訪れたのは十数年前で、インターコンチネンタルホテルで宿泊した時だった。

次の日に九州の友人と一緒に北海道へ行ったことも懐かしいが、その時に函館で宿泊したのが「湯の川温泉」の「竹葉新葉亭」で、それから11回も利用するお気に入りの旅館となっている。

郵便物の中に「ジパング倶楽部」の会報誌が入っていたが、有料老人ホームの案内が多くあり、本来だったらこんなところも考えられるのにと思ってしまう。目が不自由になり歩行もおぼつかない状態になり、私も施設入りをしなければならない時期も近そうだが、動ける内に会いたい人達に会っておかなければならない。

行きたいところでまず二つある。岩手県にある「サトウ・ハチロー記念館」と福島県にある「古関裕而記念館」だが、素晴らしい楽曲を有難うと感謝を伝えたい。

「長崎の鐘」「ああ栄冠は君に輝く」「高原列車は行く」「悲しくてやりきれない」なんて
どれだけユーチューブで聴いただろうか。お2人が残された名曲の数々にびっくりするが、加藤和彦さんの「悲しくてやりきれない」の作曲にサトウ・ハチロ―の歌詞がセッティングされた物語も印象に残っている。
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