2022-10-22

行きたいけど  ǸО 8977

プラハ 路面電車旅番組を観ていたら、寝台特急「カシオペア」のことが紹介され、上野から函館まで14時間、札幌まで19時間を要した列車だが、その人気は高く、チケット入手はまさに奇跡的とも言われていた。

札幌から「北斗星」で上野まで乗車したことがあるが、青函トンネルを走行していた時に「止めるべきだった」と後悔した。

17時間の移動で退屈しかないのでどうしようもなく、貸出されているビデオも「寅さん」だったので遠慮した。

カシオペアの紹介時に「急行はまなす」も紹介されていたが、列車を利用する人達の人生物語を見事にに表現して伝えており、どちらの存在も知っていたが乗車したことはなく寂しい思いが。

「はまなす」の所要時間はびっくりする程要したが、座席のないゴロゴロ車両の存在もあり、絨毯の上に寝転べる車両もあった。

北海道新幹線が開通したことで在来線の運転はなくなったが、開通する前に函館から「特急スーパー白鳥」で青森へ行ったこともあり、新青森駅から新幹線で八戸駅に移動し、ジパング倶楽部割引の対象となるホテルの宿泊し、次の日は一関駅でドラゴン線に乗り換えて気仙沼へ行った。

朝ドラの「あまちゃん」の舞台になった久慈駅や三陸鉄道にも乗りたいが、まだ果たせていないので焦がれている。

深夜放送の中にヨーロッパのトラムが出て来る番組がある。ベルリン、オランダ、ブダペスト、イタリア、などのトラムを観たが、初めて観たのは「プラハ」の街を走るトラムで、
死ぬまでにプラハへ行きたいと思った瞬間でもあった。

北海道の礼文島、利尻島へも行きたいし稚内にも行けていないが、妻が車椅子生活になったことから夫婦の旅は無理のようで諦めている。

これまでの人生で「出会ってくれて有難う」という感謝を伝える行脚をしたいが、最近の体調では無理みたいで、何とか見える内に動ける内にと焦っている。

夢は過去の出来事がイマジネーションとして現れることがあるそうだが、6歳時代のことが夢に出て来た。

小学校1年、2年は伊勢で過し、3年生から大阪へ出て来たが、毎月母の所用で大阪へ中学生だった姉が通っており、何度か連れて行って貰ったことを憶えている。

当時は地元の駅から志摩電鉄に乗り、鳥羽でバスに乗り替えて宇治山田へ行き、上本町行の急行で鶴橋まで来ていたが、環状線は「省線」と呼ばれており、黒っぽい電車だったと記憶している。

現在宇治山田から鳥羽まで近鉄が延伸されており志摩電鉄も近鉄戦になっているが、当時の志摩電は貨車を引っ張っていたような思い出もある。

所用が済んで寺田町駅まで来た時、空腹を訴えると構内にあった食堂に入り「キツネうどん」を注文したが「キツネ」の意味が分からず食べられなかったことを憶えている

さて、久し振りに「アンドレ・リュー」のユーチューブを観た。これも死ぬまでに一度はコンサートに参加したいものだが、プラハ行と重なったらなんて夢を観ている。

そうそう岩手県の北上市にあるサトーハチローさん」の記念館や福島県にある古関祐爾さん」の記念館にも行けていないので思い出してしまった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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