2015-05-23

歴史に学ぶ  NO 4200

http://happy-train.net/高杉晋作像「金子みすゞ」さんの名前はペンネームであり、信濃にかかる「枕詞」である「みすずかる」に因んでいるそうだが、遠い昔に製鉄が始まった頃にスズを使った歴史も伝えられている。

関連する文献を繙いてみると「篶」の字で表すススはクロダケ、すす竹を意味しているらしく、これらが信濃に多くあったという背景もあったようだ。

デュークエイセスがシリーズ物で歌って話題を呼んだ「永六輔氏」作詞「いずみたく氏」作曲の「にほんのうた」の中に「みすずかる」という曲も入っていたことを記憶しているが、まさか「金子みすゞ」さんにこんなかたちでつながって来るとは想像もしなかったことである。

「女ひとり」「いい湯だな」「筑波山麓合唱団」などは誰もが知る曲となっているが、昔、ある雑誌の企画で「永六輔氏」と私が対談するというものが組まれた。指定された日の指定時間に梅田のホテル阪急に行ってみると雑誌社の担当者が待っていたが、対談会場となる部屋に入ったところで予想もしなかった変更を伝えられて驚くことになった。

「永六輔さんが体調を崩されて来阪されないことになり、誌面に穴を開けることは出来ませんので急遽代行いただく方を探しました」

そんな説明から15分ほどして登場された人物を見てびっくり、現在は「桂文枝さん」となっている落語家で、当時は「桂三枝さん」だった。

真っ赤な名刺をいただいたことが印象に残っているが、8ページぐらいの対談記事となった掲載誌は過去の「独り言」で写真を添付して書いたことがある。

「金子みすずさん」を見出したのは「西条八十氏」だったと歴史にあるが、氏が渡仏してから彼女の活動が停止してしまったのも残念に思う。

そんな彼女の様々な作品が現在のように多くの人達に知られるようになり、仙崎の地に「記念館」が存在し、これからも伝えられて行くことは何よりで、友人や知人の中に彼女の作品のファンも多いので会話のテーマとなることも少なくないので嬉しいことだ。

旅に出掛けると知らなかったことを学ぶことが多くて土産話になるが、旅の楽しさは戻る場所があるからと説いた人物の話が印象に残っている。漂白の俳人として知られる「種田山頭火」の銅像が新幹線の「新山口駅」の前に建立されていたが、この駅も昔は「小郡駅」と称されていた。

自分にこびり付いた「業」を洗い流すには「旅」しかないと行動された説もあるが、結果としてそれが正解だったようにも思え、旅先で銅像を目にすると感慨深い情景が浮かんだ。

山陽新幹線も開通してから40年となるが、300系「のぞみ」が登場した時はこの駅に停車していなかったが、今では一部の「のぞみ」が停車している。

山口県はNHKドラマの影響もあるからだろうが観光客が多い。地元で教えて貰った史実だが、明治維新からしばらくした頃、長州藩の人間は他の地域へ行かないよう命じられていたそうで、「勝ち組」は恨まれる立場にあるということからだった。

今日の写真は萩の武家屋敷の広場で撮影した「高杉晋作」の像を。
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