2021-11-29

あの日あの頃  ǸО 8762

プラハ 路面電車人生には様々な出会いと別れの歌がある。昨日電車で橿原神宮駅へ行く途中で見えた「二上山」に懐かしくて涙が出た。

高校生の頃に付き合っていた女高生がいたが、別れの記念に「二上山」に登って頂上で「高校三年生」の歌と「赤いハンカチ」を歌ったことが懐かしい。あれから半世紀の月日が流れたが、元気でおられるのだろうかと気に掛かる。

卓球を通じて知り合った九州出身の友人は、胃がんで20代で亡くなってしまった。彼が集団就職で上阪してから毎年年末になると指定席を求めて大阪駅に登場するテント村を憶えている。

入手が難しい指定席だが、「正月ぐらいは実家で過ごしたい」と言い、いつもチケット購入に付き合ったことも忘れられない。

私にギターの楽しさを教えてくれた人物も30代で亡くなられた。「クロードチアリさん」の「夜霧の偲び逢い」が始まりで、その後に流行していたフォークソングの世界へ入って行った。

当時に耳にした旋律に驚いたのが「白い色は恋人の色」で、アメリカ人の女性二人の歌声も素晴らしかったが、その作曲があの「加藤和彦さん」と知って驚嘆した。

その後に「サトウハチローさん」作詞の「悲しくてやりきれない」がヒットしたが、ユーチューブで聴きながら「涙を流す」という詩に心が傾いてしまう。

死ぬまでに「北上市」にある「サトウハチローさん」の記念館で「素晴らしい詩を有難うとお礼を言いに行きたいが古関裕而さんとの共作でヒットした名曲「長崎の鐘」についてもお礼を言いたいし、福島県にある「古関裕而さん」の記念館にも行かなければならない。

行きたいという欲望が失せれば弱ってしまうので、動ける内に目が見える内にと考えているが、日々に深刻な状態になってきているので焦っている。

南アフリカで確認された新型変異株「オミクロン」が恐ろしい。イギリス、アメリカ、香港でも確認されたみたいだが。これが第六波となったら最悪で、水際対策をしっかりして欲しいと願ってしまう。

約年前、横浜港を出港して行ったクルーズ船の姿を見ながら「大丈夫かなあ?」と思ってしばらくしてから大変なことになったことを思い出して欲しいものだ。

当時の総理は「安倍氏」だったが、キャスティングの拙さが際立つ歴史が物語るようにプロデュース力が欠如しており、引き継いだ菅総理も同じタイプだったので心配していたら、最悪の感染状況になってしまった。
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何が原因かは不明だが、感染者が治まっている間に次の対策研究をして欲しいもので、またワクチン接種が避けられないみたいである。

アメリカで行われている世界卓球を観ていたら、張本選手と早田選手の混合ダブルスの準決勝で対戦したのが中国とアメリカのペアと言う国際組だったが、実況解説していた人物が名古屋で行われた際の「ピンポン外交」のことに触れられていた。

中国の選手が乗ったバスに間違ってアメリカの選手が乗ってしまったハプニングで、「アメリカの選手とは握手をしてはならない」「会話を交わすこと厳禁」と言われていたのに、当時の世界チャンピョンだった「荘則東選手」が握手を求め、中国の絵葉書をプレゼントしたことから帰国後に米中関係に発展を見た・

「荘則東」選手の卓球技術は流行の言葉で表現するなら「レベチ」だったが、大阪府立体育館で目にした彼のタ級は素晴らしく、当時のインターハイで活躍した高校生とは全く違うレベルだった。

中国でエリートだった彼は、後に起きた文化大革命でターゲットになり、辛辣な時代を過ごされたが、改めて彼のご冥福を祈りたい。

深夜に卓球のテレビを観ていたら、午前4時前になっていた。CMチャンネルを変えたらプラハの街を走る路面電車が登場し、美しい街並みを走行していた。

数年前にプラハから来た若い女性に出会ったが、彼女はブラジル人で妻との交流があり、ひらがなで書いたを何度か届いており、その後にメールでやり取りをしていたら、神戸に来られることが分かり三宮のホテルを訪ねて面会し、昼食を共にしてきたが「プラハに来て下さい」と言われ、元気だったら行きたいと答えておいた。
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