2021-11-20

寂しいな  ǸО 8744

近鉄特急大谷選手のⅯⅤP受賞に拍手を贈る。気品のある所作や行動も優れており、立派なご両親の存在がその人格を形成させたと想像するが、彼が青春時代を迎える前に掲げられた目標の表記に感銘を受けたことがあり「審判さん」という敬称付けがその全てを物語っているように思えるし、我が国の文化の中に残っている筈である「武士道」の精神が感じられるし、謙虚な姿勢に交換を抱かれる人が少なくないと信じている。

人生にあって人との出会いはその生涯を大きく左右するべきもので、彼が出会った指導者達にも感謝の言葉を贈りたい。

「類友」という言葉があるが、周囲にそんな事例がいっぱいあるし、塀の中で後悔しても始まらないことを悟ることになる。

前号で触れた私の先生も素晴らしい人格者の教育者でご趣味で持たれていたライカのカメラで我々生徒を撮影くださったことを憶えている。

手話33年の卒業生の我々だが、卒業生一同で供花をお願いしたと葉書にあったが、その料金の支払いについては書かれておらず、ちょっと気になるので連絡を考えている。

小学校には各教室を結ぶ放送設備がなく、先生が日本橋で様々な部品を揃えて夏休みの内に完成させ、階段を上がったところに包装室が登場し、私も放送部員の一人として昼休みの放送を担当したことが懐かしい。

先生は同級生たちと一緒にあたしの講演会場に来てくださったこともあり、友人の割烹で臨時の同窓会になったことも憶えている。

先生のお得意に音楽の世界があった。私も大きな影響を受けたが、電気関係に詳しいことからの影響で、同級生の中に液晶を世に出した人物もいたし、ペン型の物でデスクトップ型のコンピューターを作動するシステムを開発した人物がいる一方で、松下電器の大改革の総責任者として尽力された人物もいた。

我々小学生時代の修学旅行は伊勢だったが、まだ修学旅行専用車両が近鉄になかった時代で、当時の特急も休校と塗装が違っていただけだった。

鳥羽駅の山手にあった「日和山」の展望台にエレベーターで上がった記憶もあるが、それは鳥羽駅で発生した火災で延焼して消えてしまって寂しい。

よく利用していた近鉄特急のスナックカーのラストランのニュースがあった。「しまかぜ」に乗ったことはあるが「火の鳥」にはまだ乗ったことがないので、次に名古屋へ行く時に利用したい。

そんなところから今日の写真は近鉄特急のスナックカーを。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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