2021-10-12

奇跡の生還  ǸО 8907

志摩にある神社昨日の夜の番組で「逆転人生」を観ていたら、素晴らしい管理栄養士さんが紹介されていた。
院長からヘッドハンティングで勤務されたのが「淀川キリスト病院」で、限られた余命の患者さんがおられる「ホスピス」だった。

旅立つ前に食べたい物に対応すると言う取り組みで、人生を物語る「バッテラ(鯖寿司)」やご夫婦で「すき焼き」まで対応されていた。

「すき焼き」でご主人が食べられたのは少しの豆腐だけだったが、奥さんが美味しそうに食べられる姿を見られて心身が満足されたことを語っておられた。

過去に大病を患った際、救急車で運ばれたのが淀川キリスト病院だった。救急外来の診察室のベッドの上で「医師と看護師さんの交わす会話に衝撃を受け、人生の終焉を迎えた気がした。

「脳幹損傷」「延髄損傷」左半身不随」「知覚障害から温覚痛覚マヒ」「誤嚥性肺炎」「下半身だ動かず」「複視発症」「声帯半壊」なんて会話に「終わったなあ」と覚悟したのは当たり前だった。

それから病室に入ったら、未明に大きな地震が発生してびっくり。立つことも出来ない状態だったので恐怖感が強かった。

大阪の震度は「4」だったが、勝手に病室の扉が開いて恐ろしかった。そんな恐怖に慄いていた時に携帯電話がブルブルとなり、対応したけど喋ることが出来ず、異変を感じた友人は会社に電話をして私が救急車で運ばれたこと知り、すぐに見舞いに来てくれ、それから様々な迷惑を掛けた。

管理栄養士さんのことで印象に残っているのは私が2回目の膵炎で大阪鉄道病院に入院した際で、CT検査の結果ら来室された先生が「かなり悪いよ。食事も管理栄養士さんに対応して貰わなければならないレベルだ」と言われたことだった、2回目の膵炎は北海道旅行で洞爺湖から函館に立ち寄り、お気に入りの湯の川温泉「竹葉新葉亭」で夕食時に食前酒を飲んだことから始まり、次の日に八戸のホテルで少し飲んだビールで悪くなり、気仙沼に立ち寄った時には「やばい」と思うほどだった。

気仙沼からドラゴン線で一関で新幹線に乗り換え、東京を経て帰阪したが、自宅に到着した時には腹部に重たい痛みを感じ、医院で診察を受けたら「再発の可能性が高い」と言われ、前回に入院した赤十字病院に秋部屋がなく、採り合えず天王寺の鉄道病院に入院したが、一週間の絶食生活から赤十字病院へ転院。「また来られましたね」t担当医に笑われた。
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