2021-09-04

三丁目の夕日  ǸО 8569

紅旗 前号は別の記事を予定していたが、菅総理が急に辞任してしまったので変更した。前号の続きは後日にと言うことを書いておこう。

京土曜日は、私の居住する地域のペットボトルなどを出す日で、朝から表玄関に出そうとしていたら雨と同時に雷が鳴り、表玄関を開けると同時に猛烈な雷鳴があってびっくりした。

何処かへ落雷したのだろうが、本当に最近の天候は不順であり、テレビの夕方のニュースに登場する「気象予報士」達の言葉遣いが気に掛かる。「気を付けていただきたいと思います」なんて、あなたが思ってどうなるの?となるし、菅総理や西村大臣の「思います」発言を髣髴する。

詩文の際に長けたことを「錦心繍口」と言うが、函館の博物館の館長をしている友人がそれにあたるだろう。

いつもお世話になっているヘルパーさんに愚書をプレゼントした。詩文の際に長けたことを「七歩の才」とも言うが、私の場合は「七万歩」でそんなタイトルの小説「あの世の旅
だった。

本を手渡すと「サインをしていただけませんか?」と言われたので、ボールペンで彼女の姓に続いて「玉案下」と書いたら、「どういう意味ですか?」と他われたので説明しておいた。

彼女のお蔭で3階に隠遁していた我が家の猫が私の寝具で寝るようになった。もう2週間となるが変な声で鳴くことも少なくなって助かっている。

猫は雷が苦手なようで、ソファーの下に潜り込んで出て来なかったこともあった。一カ月ほど前の深夜の雷は凄かった。稲光で窓の外が明るくなるので怖かったし、一時間ほど続いて眠れなかった。

今日の昼食は「お好み焼き」の千代へ行った。先々代さんからご仏縁があったのでよく行くが、娘さんが友人の割烹の奥さんになったことから昔話に花が咲いていた。疎開道路から25号線に出る辺りは「林寺新家町」という地名だった。そこに「大三」というパチンコ店があり、西側の裏手の出入り口の所へいつもオバサンが「屋台のたこ焼き店」をされていた。

祖のたこ焼きの焼き方が独特で、ひっくり返して丸くなった部分に刷毛で醤油を塗り焦がしながら焼くもので、ソースは一切使用しなかった。

その話を友人の割烹のカウンターで話したら、奥さんが「私あのたこ焼きの大ファンで、おばさんの家まで行ってお手伝いをした子ヨガあるのです」と言われてびっくり。あの味を記憶している人物の存在が分かってどれほど嬉しかったかを懐かしんでいる。

たこ焼きは私が小学校4年生の頃に「10円で8個」あったが、それこそ三丁目の夕日の時代である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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