2020-02-14

ちょっと振り返って  NO 8711

はくおう丸印象に残っている葬儀がある。故人の娘様が知られるピアニストとして活躍されており、葬儀の中で「献奏曲」としてショパンの「ノクターン」を演奏されたからだ。

ご遺族や友人の方々が楽器で「献奏」されるケースもあったが、20年以上も故人がコーラスに参加されていたことから、お仲間の皆さんが祭壇の前で故人が好きだった歌を捧げられたこともあったが、邦楽の研究家の方が亡くなられた葬儀で、尺八と琴の「献奏」をされた時も素晴らしく、参列された方々が「こんなお葬式がいいね」と言われたことを憶えている。

式場にピアノがなければ電子ピアノかシンセサイザーが必要だが、エレクトーンで「献奏」ヲしたいお孫さんがあり、急遽私のハモンドオルガンで対応いただいたが、エレクトーンと異なる音色に驚かれていた。

80歳で亡くなられたお父さんの葬儀に、海軍時代の戦友が参列され、「同期の桜」を合唱されたこともあったが、続いてハモンドオルガンで「海ゆかば」を演奏したら皆さんから驚かれた。

「海ゆかば」なんて当時40代の私の年代はしらなかったのが当然だったが、軍歌のLPレコードを持っていたことから、その旋律はインプットされていたので即興演奏が出来たのである。
「皆様のこれからの人生にあられてこの曲を何処かでお耳にされた時、故人のことを思い出して頂ければ何よりのお供養です」なんてコメントを使っていたが、

それらはお好きだった花や色、またお好きだった食べ物まで広がるグローバルなもので、司会者のフレーズでは重宝されたものでもあった。

ある知人のお通夜でメモリアルビデオを流した際、ちょっと風変わりなナレーションを語ったこともあった。

「故人は皆様と出会い知り合って過ごされてどんなに幸せであられたのでしょうか? 皆様のご存在そのものが何よりの貢献的存在であったのです。あなた様は私たちが人生と呼ぶ曲がりくねった道程を歩んで来られた。そうあるべきだと思われていた通りに歩まれ、愛し愛されてお仕事に取り組まれ、子供、孫という人生に於ける「命の伝達」という立派な責務を果たされ、その語彙徳はご家族の皆様に受け継がれて参ります」

「街は師走を迎えています。人々の喜び悲しみの全てを押し流すように今年が流れゆきますが、誤答家の師走は。深いお悲しみの中で迎えられています。例年になく暖かかった秋、短い晩秋から一気に冬の佇まい。紅葉という命の燃焼を終えた木の葉が、式場のあるこの公園でも待っています。そんな中、ご参列の皆様のお慰めの温かさに包まれる今日ご葬送の日です」

半世紀に亘って司会をしてきた歴史の中で、故人の残された素晴らしい文章をその後に活用させて頂いたこともある。そんな一例をここにしたためておく。

「あるがまま、仏の里に舞う木の葉」そんな俳句がございますが、日本人は古来から自然に美しさを和歌や俳句に託してきました。熱帯地方にも寒帯地方にも詩や歌は生まれて来たでしょうが、我が国に生まれた詩や歌ほど人間の心の奥底を揺さぶるものはないと言われています。
一つは四季折々の風景があまりにも美しいからでしょうが、しかし、それだけではなく人生そのものを春夏秋冬に移り変わりを喩えたえたからかもしれません。木枯らしゥ吹きすさぶ冬の訪れ、この季節は仏様が説かれた無常観「全てのものは移ろいゆくひとときという教えそのままを事前の中に映し出してくれますが、そんな時、この季節に思い浮かぶ俳句、それはあまりにも有名な良寛様が詠まれた辞世の句「宇良を見せ表を見せて散る紅葉ではないでしょうか?」

この方の葬儀は阿倍野の天空館で行われていたが、私が緊張する葬儀だったので忘れられない。改めて手を合わせておこう。

今日の写真は横浜港に入っている筈の「はくおう」丸を。
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