2021-08-27

ラッキー  ǸО 8862

センチュリーの車内前号の写真はクラウンのロイヤルサルーンが登場した際に購入した同型車で三台乗り続けたので懐かしい。4台目はセンチュリーにして2台乗り継いだが、走る応接室みたいな車で静かだったことが印象に残っている。

ロイヤルサルーンの初代は「2600cc」だったが、乗り継いだ時に「排ガス規制」から出力が著しくダウンしており、3代目の時は「2800cc」になっていた。

さて、北海道からANAが毎年「スズラン」を空輸して、日本赤十字社へと届けていることが知られている。

1956年に始まったのだから私が小学生の頃だった。高校2年生の時に当時はアメリカ統治になっていた沖縄へ行ったことがあるが、神戸の中突堤から乗船した関西汽船の浮島丸の船内で流れていたラジオ放送で橋幸夫さんの「スズラン娘」が印象に残っている。

丁度その頃にヒットしていたのが田端義男さんの「島育ち」で、歌詞にある「沖の立神」のことが気になっていたが、奄美大島の名瀬港に停泊している時に、船内におられた地元の人からそれがあちこちにあることを知った。

沖の立神信仰は全国各地にあり鹿児島の枕崎にもあるが、島育ちの曲は「47抜き」の音階で我々日本人に聴き易い旋律となっている。

この数日、「加藤和彦さん」のことばかり触れているが、彼が三線を演奏されながら歌われる「悲しくてやりきれないは「サトウハチローさん」のお見事な歌詞に合致し、何とも言えない調べを奏でている。

加藤さんが軽井沢で亡くなられてから12年目を迎えるが、彼が存命されていたらきっと素晴らしい曲を作られただろうと想像する。

過日にNHKで東京のレコード店の1週間を特集する番組があったが、我々の年代が懐かしいレコード盤を探している姿を見ながら、昔のことを思い出してしまった。

レコードを購入するとその店舗にあった音響設備で1回聞かせてくれる慣習があったが、一般的な家庭にある設備と異なった優れ物で、全く違うレベルの音が流れていた。

持ち帰って随分と質が落ちた音に衝撃を受けたこともあるので懐かしいが、十代の中頃から音響に凝ってしまい、日本橋によく出掛けていたことも思い出す。

アンプ、プレーヤー、スピーカー、テープレコーダーなどを何種類も購入して自分好みの音を模索したが、各メーカーの物が聴き易い音質に調整されており、ナショナルのテクニトーンに落ち着いた経緯も忘れられない。

「トリオ」「サンスイ」「赤井」「パイオニア」などのメーカーのことが残っているが、自分好みの音を突き詰めることは簡単ではなく、十数年前に知り合った音響のプロの凄さに感銘を受け、彼が担当する照明の世界もコンピューターが不可欠で、サイン、コサイン、タンジェントの世界だと知って驚嘆した。

「500マイル」を検索していたら、懐かしいブラザースフォーやジョーンバエズのものもあり、青春時代が一気にやって来た。

ユーチューブとは優れ物で、昔に観た映画の主題曲を聴こうと開けたら、映画そのものが
観られのでびっくり。「西部開拓史」「ナバロンの要塞」「栄光への脱出」「さらばベルリンの灯」「サウンドミュージック」などが懐かしい。「渚にて」を開けたらオーストラリアの第二国歌として歌われている「ワッチング・マチルダ」が登場し、順にページを開いていったら、大好きな「アンドレ・リュウ」がおアースとラリアでコンサートを開いた映像があり、数万人の参加者が歌っていた。
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