2022-04-24

お好み焼き  ǸО 8881

お好み焼き 尾道にて
このところ食欲がなく、薬の服用に問題があるので何かを食べなくてはと思い、鶴橋へ出て「風月」でお好み焼きを食べて来た。

昔から我が家でお好み焼きを焼くことも少なくなかった。私にはその際にこだわりがあり、材料費が高くつくと妻から言われていた。

剣先するめを焼き、「糸状」に切ってそれで出汁を出し、糸状の物は粉に入れてしまうのだが、その隠し味は食べた人にしか分からず、体験した友人達が「美味しい」と流行した歴史がある。

商店街で酒屋をやっていたゴルフ仲間がいた。彼の店で「お好み焼きの粉を」販売しており、新しい商品が出たらいつも教えてくれた。

私と同年の彼だが、十数年前に病気で亡くなってしまい、しばらく信じられなかった。

広島のピピの社長に頼んで「広島風お好み焼き」を食べに友人や妻と何度か尾道へ行ったが、彼女が広島限定のお好み焼きソースの「カープソース」や「おたふくソース」を送ってくれたことがあり、発売元から取り寄せたこともあった。

私が中学時代から存在していた阿倍野のお好み焼き店「早苗」には何度も行ったが、焼きそばの「チジレ麺」に特徴があり、ある日納入するスタッフが目に留まり、社名と電話番号を控えて後日に電話を掛けたら、「業者さん以外は販売しません」と言われて次に手を打ったのが、その会社が存在する地出身の友人に依頼したことで、「保健所」からのルートで何とか200食程度を送って貰い友人達に配ったが、「チジレ麺」を茹でて戻す具合が微妙でうまく行かず、半分ぐらい失敗した苦い体験もあった。

早苗は近鉄横の阪堺線沿いにあったが、今はもう存在していないが、私の青春時代の思い出の店舗でもあった。

両側にボックス席があり、中央部に丸い瀬戸物の大きなテーブルがあったことを憶えているが、いつも「焼きそば」と「お好み焼き」を食べていた。

チジレ麺の戻し方が分かってから楽しみが増えたが、もう2回は発注してから止めることになった。

世の中には不思議なこともあるもので、前述の保健所のお世話になったが、担当者の名前が私と同姓だったので驚いた。

鶴橋の「風月」で食べていたら、隣の席の4人組の高校生達が帰っていたが、一人が携帯電話を忘れており私が帰るまでまだ取りに来なかった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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