2022-06-26

思い出したこと  ǸО 8897

パース空港にて一昨日、所用があって出掛けた。持参しなければならない書類が多くあり、仕方なくキャリーバッグを引っ張って行った・

寺田町駅で電車が到着し、扉が開いても杖とキャリーバッグでは状乗車が難しい。難渋していると若い男性がキャリーバッグを持って車内へ入ってくれた。

優先座席に座って何気なく観ていて気付いたのがズボンの左の膝部分の傷付きで、あ過日に近所で転倒して膝に擦り傷を負った際に出来たものだと気付いた。

目的の駅に着いたら、今度は降車するのが大変だと思っていたら若い女性がホームまで運んでくれ、親切にエレベーターの所まで連れて行ってくれた。

所用が済んで寺田町まで戻ったが、外回り線のエレベータの横が狭くなっており、線路へ落下する危険性があるので忠書していたら、薄情の方をエスコートする駅員さんが目に入り、エレベーターの所まで」とお願いしたら快く運んでくださったが、「ここは本当に狭いから危険です」と言われた。

天王寺へ行く時にいつもエレベーターを降りると怖い思いをしてそこを通るが、手摺でもつけてくれないかと思っている。

私は昔から余計な心配をする性格だった。新幹線でシートを倒してうたた寝をしている時でも、<こんなスピードで脱線したら?>なんて思うのだから病的で、駅にて癒している列車を追い越したり追い越されたりする時は、いつもポイントは大丈夫かなあと恐怖感に苛まれている。

そんな心配が少し前に下関駅で現実化していた。ホームに停車させる列車をヒューマンエラーで通過線路に入れてしまい、早朝だったので事故に及ばなかったが、ヒューマンエラーは潜んでいることを知っておきたい。

過日に沖縄の慰霊式典のニュースがあった。半世紀前に沖縄に行った際「ひめゆりの塔」や「健治の塔」に参拝したが、夕方の特番で「南北の塔」の存在があり。それは沖縄で犠牲になった多くのアイヌの人達の慰霊のために建碑されたそうだが、戦争がどんな悲劇を生むかはロシアの蛮行にも見られる。

7年前、パースにいる友人に会うためにオーストラリアへ行ったが、成田から利用した日本航空の便が折り返しで成田へ飛ぶのだが、それを寛太祖航空の機内から見ながらシドニーからパースへ飛んだ。

パースで2泊してからキャンベラへ飛んだが、キャンベラ空港を離陸する際に急にエンジン音が低下して離陸をやり直す出来事があり。思わず「大丈夫か?1と慄いたが、やり直して問題なく飛んでくれた。シドニーからパースへは5時間を要したし、パースからキャンベラまでも5時間ぐらいだったが、深夜にキャンベラ空港に着いてタクシーでホテルに行ったが、国会議事堂に隣接するそのホテルは知られる高級ホテルでかなり広い部屋でびっくりしたが、朝食や夕食に行った管内のレストランからの帰りのルートが分からなくなり、フロントスタッフに部屋まで連れて行って貰って恥ずかしかった。

そんなレストランで面白い出来事があった。次の日の夕食だったが、オープンまで10分待つことになって入ったが、ブユッヘを選択したのだが、パンが見つからず、スタッフの方に言っても言葉が通じず、遂にスタッフルームから日本人の女性スタッフをるれて来て解決したが、パンはナフキンで隠されるようになっていたので「申し訳ございません」と謝罪を受けたけた。次の日にホテルからタクシーで戦争博物館に行ったが、園児にお世話になったが太平洋戦争に関する資料も多くあって知らなかった世界を学ぶことになった。

出発の日、ホテルの玄関からタクシーに乗ってキャンベラ駅に行こうとしていると、お世話になった日本ジ女性のスタッフが来られて水のペットボトルを2本頂き「お気をつけて」と見送ってくれた。

彼女は長野県の人だったが、今でも優しい表情を憶えている。
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