2022-05-06

久米島のこと  ǸО 8889

呼子大橋ネット記事の中に沖縄近海の久米島付近で地震が多発しているものがあった。「久米島」という文字に瞬間的に浮かんだのは過去に沖縄へ行った時のことだっ 
た。昭和38年8月17日に関西汽船の「浮島丸」で那覇の泊港へ入港した時で、低気圧の影響で強風が吹き、
久米島航路の「みどり丸」が転覆し、10分も経たない内に沈没した事故で、犠牲になった人達の関係者がいっぱい詰めかけていた岸壁の様子は今でも忘れられない光景となっている。

神戸の中突堤を出港した「浮島丸」は、現在の関西空港付近から揺れに揺れ、高知沖に行った頃には船室で転がる状態で、奄美大島の名瀬港に着くまで最悪だった。

名瀬港でもっと停泊していて欲しかったが、やがて出航して徳之島や与論島からの連絡船に接続したが、大きな波で大変な光景で、それから沖縄に到着する頃にはいよいよ荒れていた。

その影響で「みどり丸」の事故になったが、我々が乗船していた浮島丸も2600トンの貨客船でよく那覇まで辿り着けたものだと思ったが、その時に転覆していたらこの「独り言」を発信していなかったことになる。

しかし、不思議なご仏縁があった。茨城県のつくばにあるホテルオークラでマッサージをお願いした人物が沖縄ご出身の方で、「みどり丸」で従妹の方が犠牲者となり、那覇港にいた時に「浮島丸」が入港して来たことを憶えられていて、人の世の不思議な出会いに手を合わせることになった。

さて妻の手術が10日に決まったが、その日は私に重要な案件があり病院に付き添いすることが出来ず、妻の妹に頼もうと思ったら全く電話がつながらないので困っている。

病院から持ち帰って来た「入院案内の書類に書き込まなければならないが、文字がはっきりと見えないし。文字を書くのに手が震えるので大変だ。

入院している病院は過去に母が入院していたこともある。入院している時に私が脳梗塞を発病してしまい、どうにもならないことになったが、人生とは決して楽なシナリオにはならないようだ。

東シナ海の海の色は「インク色」だったので強烈な印象に残っているが、鹿児島港へ向かう「ひめゆり丸」は新造船で、天候もよかったので快適な船旅となった。

現在の鹿児島中央駅は昔の西鹿児島駅になっており、東京行のSL「急行きりしま」で大阪に戻ったが記憶では午後の発車で午前9時過ぎに到着したように憶えており、鹿児島本線から山陽本線を経て20時間ほどの長旅だったことになるし、終着の東京駅に着く前に別の「きりしま」が発車することになるので面白い。
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