2020-03-15
ターニングポイント NO 8736
三世代の遊園地みたいなフレーズで知られる「みろくの里」で、「神勝寺温泉」となっていたが、温泉棟の入り口にミゼットが置かれていたのを憶えているし、入浴後に20分間ほどマッサージをお願いしたことも憶えている。
昭和の時代の映画のポスターも存在していたが、「三丁目の夕日」の世界があることは確かだった。
平山温泉からの帰路、久留米駅から「特急ゆふいんの森」で別府に出て「白いソニック」に乗り換えて宇佐駅に行き、タクシーで豊後高田市にある昭和の町に行ったこともあるが、由布院駅からタクシーで個人のコレクターを展示するミュージアムへも行ったが、そこにはびっくりするものがいっぱいあり、入り口の所にあったアンティークなオルゴールの音を聴かせて貰って嬉しかった。
タクシー代と入場料が必要だが、湯布院に行かれた際に是非お立ち寄りをとお勧め申上げる。
豊後高田市の昭和の町は自治体が協力して立ち上げた町おこしみたいだったが、徐々に集客数がダウンし、私が行った時も閑散としており、「行ったら立ち寄るべき」書かれてあったネットの記事から、精肉店の「コロッケ」を食べて来たが、カボチャをトッピングしたコロッケは最高に美味しかった。
ミゼットやダイハツの三輪トラックなども置かれていたが、開業当時にはボンネットのバスも運行されていたみたいで、ネットの紹介記事で目にしたことを憶えている。
新型肺炎の流行で社会的に自粛ムードで包まれている中、航空業界の減便や新幹線「のぞみ」の間引き運転なども発表され、あちこちの観光地は最悪の状況となっているが、行って上げたいけどどうにもならない空気もあり、大好きな温泉旅行もしばらくは「辛抱」を強いられている。
そんな中、今日の郵便物の中に私の介護保険についての書類が届き、「要支援の2」と確定されていた。妻の分はまだ届かないが数日の内に届くと思うので、その結果を踏まえて晩節の生活を考えようと思っている。
妻は恐らく「要介護」の認定を受けるだろうが、多くの人達のお世話に相成り「生かされる」ことになる。
振り返れば葬儀一筋の人生だった。「忙しいから記録写真の撮影を手伝ってくれ」から入ったことになるが、当時は今みたいなデジタル写真はなく、フィルム式の重たいカメラだったことを憶えており、それがこの仕事の「重み」のような気がしていた。
ある葬儀で撮影していたら、現場の責任者の人物が「新しくご依頼があったから直ぐに行かなければならない。後を頼む」と行ってしまったのだからあり得ないことだが、そのお陰で人生で初めて葬儀の場で「マイクを握る」ことになった。
葬儀終了時に行う喪主様の謝辞を代行するものだが、「何でこんなことに」と思いながらも葬儀屋に生まれた宿命みたいなことも感じていた。
この考えれない体験がその後の人生を決めるターニングポイントとなった訳だが、葬儀の受付をされていた近所の方が「あんたの声は葬儀に向いてる。美味しいアイスクリームを食べたようなソフトが感じられた」と意味不明な言葉を掛けられのだが、それが私の心の扉を開けてくれたと思っている。
現役中に1万人の方々の司会を担当したことになるが、その内の7000人の方々の火葬場への随行をしており、往復の車中で耳にした様々な会話は、私の貴重で大きな財産となっている。
今日の写真は団参で訪れた滋賀県のお寺で撮影した1枚だが、朝ドラの影響で滋賀県を訪れる人が増えているニュースもあった。