2004-05-15
今日の出来事 NO 792
高知で行われている「日本プロゴルフ選手権」、知人が応援する選手が出場している。
天気予報をネットで見たら、高知は大雨に強風。そんな中、PGAのHPで成績速報を覗いたら、彼は3番ホールまでパープレイ。<いいぞ>と思いながら30分後に開けたらつながらない。
夜に自宅でアクセスしたら悪天候で中止とあり、つながらなかった時間帯は、霧で中断中ということが分かった。
日が変わって好天に恵まれた第一日、楽しみにしながらアクセスする。彼は、いきなりダブルボギーを叩いている。夕方に開いてみれば「+5」となっており、明日の挽回を期待する。
さて、今日は、東京からメンバーが来社した。東京で開催される日本トータライフ協会主催の研修会、彼は、そのホストである。
彼が語ってくれた熱い思いを理解するが、それを参加者にどのように伝えるかが簡単ではなく、全国に点在するメンバー達の顔を思い浮かべながら話し合う。
一方で、午前中に東京から予期せぬ電話があった。
来春に行われる大規模な大会の司会の依頼。ある宗派の全国大会のようで、1000人の出席があり、表彰式が組み入れられた式典と懇親会だと聞いた。
第一部「式典」の司会なら担当可能。第二部「祝宴」は不可というのが私の哲学。お酒の入る祝宴の司会は、自身がメンバーであるライオンズクラブ以外では受けないことにしている。
宗教者が大勢集まられる式典なら、私をキャスティングされることは面白いかも。
なぜなら緊張感が生まれる厳粛な空間づくりが得意だから。それらは、当然プロデューサーという立場で式典シナリオ構成にも携わる必要もあるが。
過日、他府県のお寺さんからメールを頂戴した。この「独り言」をご笑覧くださっているそうで、通夜の法話や説教についての意見を求められた。
「こんなお話が歓迎されています」ということは抵抗なく返信できたが、歓迎されないケースに触れることはしなかった。なぜなら、それらが驚くほど多いから。
すべてを書けば大変な量になる。説教中に喪主さんが手招き、担当者が近いづいて用件を伺うと、「説教を短くするように」と言われて困ったこともある。
故人との思い出を偲び、遺族へ慰めの言葉を掛ける通夜の場。そこで「お説教が楽しみ」ということになれば嬉しいが、そこには宗教者ご自身の哲学と共に、説得力のある話術も重要だと感じているこの頃。
「布教」の場を「怖強?」とならない客観的な見直しも大切なような気がする。